2015年の京都アニメーション武本康弘監督の映画ハイ☆スピード!

 行きたくもない海外出張の日程が正式決定してしまい、この曇天のような気分を晴らすべく「海獣の子供」と「天気の子」を観に行こうと願望していたが、今宵だけは何となく3年半前の映画館通いの楽しかった思い出に浸りたくなったので、劇伴音楽集「Pure Blue Scenes」を聴きながら電車で帰宅した。
 そして3年半前、シネマサンシャイン衣山に通って繰り返し鑑賞した映画。
 2015年、京都アニメーション京アニ武本康弘監督の映画「ハイ☆スピード!」(ハイスピ)。
 ニコニコ動画dアニメストアで今宵あらためて鑑賞して、やはり素晴らしかった。
 キャラクターデザイン&総作画監督西屋太志が手がけたパンフレットの表紙絵も、優美な詩情と神々しさに満ちていて素晴らしい。品格が高い。
 圧巻は終盤のメドレーリレー。4人の少年が只管に泳いでいる姿を描いただけで、何故こんなにも心打つのか。この神々しいまでに美しい場面の原画を手がけたのは巨匠、木上益治(多田文雄、三好一郎)。中でも凄まじいのは七瀬遙ゴール前の姿。もはやプールではない。大海を一人征くかのように雄大な、壮麗な泳ぎ。アニメならではの表現。
 物語の核をなす七瀬遙と橘真琴の和解の場面。この大胆な解決は武本監督自身の創出で、最上級に美しく表現されている。遙は真琴を目覚めさせ、真琴は遙を導いてさらに目覚めさせる。遙の覚醒のとき瞳に映るのは真琴の姿。直後の遙の恍惚の表情は、真琴が遙を愛していた以上に実は遙こそ真琴を愛していたことを露呈する。実に深い逆転劇。
 それに先立つのは、幼馴染2人の変わることない友情が不意に揺らいだ数日間。橘真琴の苦悩の正体は、同性間の愛情をめぐる世間とのズレにあるように見える。その苦悩をこんなにも真正面から、リアルに、しかも優しく描いたことが素晴らしい。
 他の登場人物にもそれぞれ魅力がある。生意気な七瀬遙を叩き起こすのは陽気な力漲る桐嶋夏也。華やかで爽やかで、匂い立つ色気もある。穏やかな橘真琴を悩ませて覚醒させるのは芹沢尚。洞察鋭く、厳しく怖く、懐深くて優しい。無口な七瀬遙や穏やかな橘真琴とは違って騒々しい程にも賑やかなのが椎名旭。彼の言動が皆を巻き込んで物語を推進する。しかし陽気な自信家ならではの挫折の役目をも担うことで、物語の陰影を一段と深めてもいる。椎名旭と一緒になって七瀬遙の心を開かせるのが鴫野貴澄。旭の魅力を最も知る人。おおじこうじ著の原作小説では、貴澄ならではの旭への眼差しが印象深く描かれ、それが遙自身の不器用な生き方を照らしている。七瀬遙に勝るとも劣らない才能の持ち主が桐嶋郁弥。そのキャラクターデザインをここまで繊細優美に仕上げた西屋太志と武本監督の判断には驚嘆せざるを得ない。兄、桐嶋夏也との組み合わせの華やかさが眩しい。七瀬遙、橘真琴、桐嶋郁弥はそれぞれ不器用だが、もう一人、不器用なのが山崎宗介。小学生時分の愛らしい顔にも既に報われない想いの哀しさを表している。しかし沢山の手紙によって少しは報われていたらしい。
 武本監督は仲間の失敗を引き受けて大成功へ逆転させる実力派。「らき☆すた」も「ハイ☆スピード!」もその種の仕事だが、結果、「ハイ☆スピード!」は武本監督ならではの新しい魅力ある作品に化けた。これは多分もはや「Free!」ではない。