旅行記四/完全に出張仕事に徹した一日

 旅行記四。
 朝早めに準備を整え、七時開店のホテル食堂へ急ぎ、朝食を摂ったのち八時前には外出。八時三分発の中央線快速に乗車したところ、豊田行だったので終点で降りて、次の高尾行に乗り、九時十六分、西八王子に到着。待ち合わせ場所には二十分も早く着いたので近所のコンヴィニエンス店で水を買ってきてベンチで休憩しようとしたとき、相手も到着したことに気付き、早速、出立。目的地には二十分以上も早く着き、早めに仕事を開始。一軒目の仕事は予想以上の充実。十二時半頃にはそこを出立し、府中にある二軒目へ移動。昼食を摂ることなく移動して、二十分近く早めに目的地へ到着。予定した仕事は二時四十分頃には完了したが、そのあと色々会話をはじめ、いつの間にか夕方五時になっていたので、そのまま皆で夕食へ行き、散会後、京王線府中駅へ。移動中には府中駅から大門駅を経て六本木駅へ行こうかとも思っていたが、六時四十分に発っても六本木駅へ着くのは七時二十七分で、森美術館への入場時刻には間に合わないと思われたので諦めて、新宿駅で中央線快速へ乗り換えて神田駅へ。ホテルへ戻るや早めに寝てしまい、起きたのは翌朝六時。仕事に専念した一日だった。

 

旅行記三/出張仕事のあと有栖川宮記念公園で少年の彫刻二躯を観る/再び国立新美術館/安藤忠雄展の行列/日展の彫刻/新海誠展の休憩所のメッセージ掲示板/神田のホテルへ移動

 旅行記三。
 昨日までは休日で、今日からは出張。それに伴い、宿泊先も移動。
 ゆえに朝八時半頃にホテル一階の食堂で朝食を済ませたあと荷物をまとめて宿泊先を引き払い、蔵前駅から上野御徒町上野広小路駅を経て神田駅へ。神田のホテルへ大きな荷物だけ預けて再び神田駅へ戻り、秋葉原駅へ移動。ヨドバシカメラAkibaで三脚用バッグを買い、日比谷線秋葉原駅から広尾駅へ。コンヴィニエンス店でサンドウィッチと珈琲を買い、有栖川宮記念公園のベンチで昼食。そして昼一時には仕事の現場へ。
 今日の仕事には困難があるかと予想していたが、準備を整えて臨んだからか呆気ない程に快適、快調に進行し、わずか四十分間程度で完了してしまった。あまりにも早く仕事から解放されてしまい、少なからず戸惑いながら再び公園で休憩。
 有栖川宮記念公園内に円形の広場があり、その中央には近代彫刻の巨匠、舟越保武の「笛吹き少年」が建立されてある。しなやかな体型が美しい少年男子のヌード表現。そこから日本庭園へ向かう途上に建立されてある少年男子の銅像は着衣の姿を表し、台座には「僕は少年新聞や」の詩が刻される。云わば新聞少年の像。「新聞を配る少年保護育成の会」が昭和三十三年五月三十日に建立した由。像の土台の側面には「1958響子」の署名があるから、彫刻の作者は巨匠、朝倉響子か。さらに進んで、日本庭園を散策。
 公園を出て広尾駅へ。日比谷線の電車に乗れば、広尾駅の次は六本木駅
 それで再び国立新美術館へ。二日前に使用したコインロッカーへ今日も荷物を預け、二日前に購入した入場券を用いて安藤忠雄展を鑑賞。しかし大変な混雑で、まともに鑑賞できる状態にはなかった。会場内には安藤忠雄自身が来ていて座談会を開催していた。会場を出る前に図録を購入しようとしたところ、座談会のあとサイン会に参加するため図録を買い求める人々が長蛇の列を成し始めていて、その影響で行列に並ばなければならなくなった。サインをもらう意がなかったので購入し終えたら直ぐ会場を去ることを得たが、サインを求める人々は図録購入の行列のあとサイン会の行列にも並ばなければならなかったようで、実に大変。
 三時四十分頃、次には「日展」の券を買い、日本画部の会場を一周したあと彫刻部の会場へ移動。今回は休憩所にも一部の作品が展示されていて、内一つが土本周平「torso.3」。ベルヴェデーレのトルソのようで力強い。準会員、徳安和博「ペルセウス」は格好良い。同じく準会員、牧田法子の「Torso2017」は実に無駄なく美しい体型を表している。会員、亀谷政代司の「戦士」は流麗で優美。特選、横山丈樹の「双樹Ⅲ」も見応えある作品。今回も楽しめた。
 ところで、二日前、この美術館で「新海誠展」を鑑賞した際、入口で配布されている出品目録を受け取ることを得ていなかった。インターネット上ではその目録の情報量の充実が話題になっていたので、是非とも入手しておきたいと思い、会場の入口へ行って事情を説明してみれば直ぐに頂戴することを得た。感激した。
 感激した序にもう一度鑑賞しておきたくなったので、館外の券売所へ戻って入場券を買い、再び会場へ入った。オープニング・ムーヴィーを改めて鑑賞し、会場内を巡った。先日は休憩所を見逃してしまっていたが、インターネット上の情報によると、この休憩所に設置されているメッセージ掲示板には新海誠監督と神木隆之介のメッセージが掲示されている由だったので、今回はそれを確り観ておいた。自分自身もメッセージを残しておいた。「言の葉の庭」の章では、展示室の上方には光で降雨の風情が演出されていた。前回は気付かなかった。そしてクロージング・ムーヴィーを三回ばかり繰り返し観た。何度か涙が出そうになった。出口とグッズ売場の合間のフォトロケーションでは今回、写真展「郷愁」の糸守町風景写真展示の全貌を撮影できた。さらに、「言の葉の庭」の庭園を背景にした合成写真の撮影も試してみた(iPhoneには保存しておいた)。そして土産にすべく図録をもう一冊購入してから会場を出て、眼前のレストランの様子を撮影。このレストランが「君の名は。」における立花瀧奥寺ミキのデートの会場であるのは云うまでもない。まさしく「聖地巡礼」気分も味わい得た。
 こうして大いに満足して国立新美術館を退出し、地下道で日比谷線六本木駅へ行き、銀座駅で乗り換えて銀座線の神田駅へ。神田のホテルに入ったのは夜七時頃。宿泊室は高層階にあり、窓から見える景色も良い。疲れたのでホテル一階の食堂へ行き、チキン南蛮丼で夕食。チキン南蛮と云えば宮崎だが、近所のコンヴィニエンス店へ行けば、売っている水も宮崎の霧島の水だった。
 普段、家ではテレヴィを点けないが、ホテル宿泊時には大体テレヴィを点ける。今宵、東京MXでは「俺癒」を放送していて、ナレーションが斉藤壮馬。途中、斉藤壮馬の浴衣姿も観た。軽井沢旅行をしている声優三人の内、真中に座して蕎麦を食べていたのは羽多野渉だった。

 

 

 

 

 

 

旅行記二/上野恩賜公園/国立西洋美術館ジャポニスム展でモローのヘラクレスに再会/東京国立博物館平成館の運慶展と鶴屋吉信

 旅行記二。
 今日も休日ということで大いに寝ていたが、朝九時半頃にホテル食堂へ行き朝食。宿泊室内で寛いでいたところ清掃の人から何時に出て行くのかを聞かれたので、十一時に出ると予告して、準備を整え、外出。雨が止んでいたので徒歩で上野へ。上野恩賜公園へ行き、西郷南洲像を久し振りに眺め、駅前「世界文化遺産」とも云える国立西洋美術館に到着したのは十一時三十五分頃。
 見れば、券売所前に行列が生じていたので入ろうか否か思案したが、結局は行列に並び、「北斎ジャポニスム」展を鑑賞。しかし会場内に入るや、展示を順に観るための順番を待つ人々の行列が生じていたばかりか、当の行列に並ぼうとする人々の行列までも生じて長蛇の列を成していた。狭い会場内の混雑は凄まじく、まともに鑑賞できる状態ではなかった。それで入場したことをやや後悔しかけてはいたが、幸い、数年前にパナソニック汐留ミュージアムで鑑賞して感銘を受けたギュスターヴ・モローの「ヘラクレス」を久し振りに観ることができて、それだけで大満足。
 続けて常設展示場へ。二階では、アンゲリカ・カウフマン「パリスを戦場へ誘うヘクトル」や、新収蔵作品のブーグロー「音楽」が目を惹いた。ルノワールの「木かげ」は裸婦よりも美しい。ロダンの「地獄の門」関連の素描集も興味深い。そして一階へ。セガンティーニ「羊の剪毛」は、いつ観ても良い。新収蔵作品のラファエル・コラン「詩」と「楽」の二面一対も素晴らしい。実に鈴木春信風に繊細優美で、ジャポニスムの精華と云える。
 昼一時五十分頃に国立西洋美術館を出て、公園を歩けば、噴水のある池の上に謎の建造物。東京国立博物館へ行けば門前に既に大混雑が生じていたが、迷わず券売機で券を買い、入場。それにしても、今なお券売機で券を買うことに戸惑う人々が少なくないらしく、数秒で終わる作業に数分間を要する人々が混雑を悪化させていたようだった。
 門内にはタイ料理店の屋台が出ていたので、遅い昼食のためタイ風ヤキソバを買った。生憎、雨が降り出したのでベンチに腰掛けて傘を差してそれを食べた。
 平成館の玄関前には既に長蛇の列。しかし並んで順番を待った。待ち時間三十分間と云われてはいたが、三十分間も待った気はしなかった。入館後には先ずはコインロッカーへ荷物を預けたのち入場。運慶の作品は全て素晴らしかった。仏像における真の傑作を存分に観た。換言すれば、世の多くの仏像が傑作ではないこと、ゆえに造形そのものについて感動できなかったとしても当然であるのかもしれないことを痛感した。
 高山寺の子犬の小さな置物と図録を購入して夕方四時頃に会場を出て、平成館一階の講堂前に行けば、今回も鶴屋吉信が出店していたので、アイスクリームを買って休憩。器の中にはモナカの蓋があってその下にはバニラのアイスクリームと抹茶アイスクリームがあり、底には小豆が敷かれてあって素晴らしく美味だった。
 閉館時間の五時が迫ってきたので、大急ぎ本館へ。一階の近代美術室には河鍋暁斎の巨大な地獄図。寺崎広業の傑作「秋苑」も出ていた。明治の美少女と猫。横には森川曽文「群鹿」。鹿たちの群れ。何れも秋の絵か。二階の企画展示室では室町時代大和絵の特集。障屏画室には円山応挙の「波涛図」。酒井抱一の草花の画巻も美しかった。一階へ降りて、売店で「室町時代のやまと絵」図録を購入して東京国立博物館を出た。
 流石に疲弊したので、夕方五時四十分頃、上野駅の二階にある料理店に入り、野菜カレーで早めの夕食。洋食堂かと思って入店してみれば中華料理屋だったようで驚いたが、野菜カレー自体は普通の日本洋食のようだった。意外にも量が多く、食べ過ぎた感があったので、上野から蔵前まで歩いてホテルへ帰った。

 

 

 

 

 

 

 

 

旅行記一/六本木の国立新美術館における新海誠展/蔵前のホテルから浅草寺まで歩く

 旅行記一。
 東京で出張の仕事を予定しているので、休日を利用して早めに東京へ移動しておく日。
 昨夜かなり早めに寝たので今朝かなり早めに起きて、急ぎ準備を整え、十時頃に外出。道後温泉駅前でリムジンバスに乗り、十一時には松山空港へ到着。昼一時十五分には羽田空港に到着。しかし、ここで仕事。携帯電話メール受信を確認し、二箇所に電話して月末の日程調整。その過程で新たな指示を受けたので慌てたが、日程だけ定めることができたので幸い。それが一時五十五分頃。少し安心し、漸く羽田空港から京急線で出立。大門駅で都営地下鉄大江戸線に乗り換え、六本木駅へ。ウォークマンRADWIMPS作曲「はじめての、東京」や「憧れカフェ」、「奥寺先輩のテーマ」等を聴きながら東京ミッドタウン脇を通過。
 三時十分頃、国立新美術館へ到着。現在開催中の「新海誠展」を鑑賞するため、ここに来た。券売所には行列ができていたが、どうやら「安藤忠雄展」の券を求める人の方が多かったらしい。折角であるので両方とも観ておきたいと思い、両方の券を購入。両方とも百円割引料金になった。入館して先ずはコインロッカー探し。幸い、正面玄関から入って右手の一番奥にある最も大きなロッカーが空いていて、大きな荷物も上着も全て収めることができた。これで身軽になって二階の奥の展示室へ行き、先ずは「新海誠展」を鑑賞。
 冒頭の映像に感動したのち、入口へ戻って音声ガイドを借りた。音声ガイドを使用するのは生涯で二度目。一度エは大昔で、あまり面白くなかったし便利でもなかったが、最近は機器が使い易くなっている。しかも今回の音声ガイドで解説役をつとめるのは新海誠の大ファンであるのみならず「君の名は。」で立花瀧を演じて新海誠作品の中の人にまでなってしまった神木隆之介。聴かないわけにはゆかない。
 展示の内容は流石、国立美術館で開催するに相応しく、「ほしのこえ」から「君の名は。」まで六作品それぞれの絵コンテ、ビデオコンテ、設定、原画、背景美術、本編映像(抜粋)等の資料のみを見せることに徹底していて、実に好ましかった。スタジオジブリであれば物語の世界を原寸大再現するところだろうが、あれは貴重な資料そのものへの集中力を低下させるだけで、美術館に相応しい展示手法ではない。アニメーションの展覧会を美術館(博物館)で開催する際には、今回のような生真面目な展示こそが今後の基準になるべきであると思う。
 もう一つ面白かったのは、新海誠が制作に使用してきたパソコン等をそれぞれの作品の資料と一緒に展示していたこと(「ほしのこえ」ではパソコンのモニターを使用して映像を上映していた)。もともと新海誠は「ほしのこえ」を一人で制作して発表し、注目を集めた人。アニメーション映画というものは集団でしか制作できないものであるという業界の常識を覆した人だったが、そのような驚異の制作を可能にしたのはパソコンの発達だった。そしてパソコンの進歩は常に、新海誠の作品の質の向上を支え続けてきた。それを踏まえて今回の展示では、新海誠の年譜にもパソコンの発達に関する事項が大いに記載されていた。興味深かった。
 合間には、大成建設CM等の小品(しかし高水準の傑作!)の展示もあったし、愛読書の展示もあった。しかし展示の主役は「ほしのこえ」、「雲のむこう、約束の場所」、「秒速5センチメートル」、「星を追う子ども」、「言の葉の庭」、そして「君の名は。」の大作六作品。幸い、全て鑑賞済ではあるが、多分、鑑賞済でなかったとしても展示を楽しめて、しかも鑑賞したくなっていたろう。
 閉館時刻まで三時間もない中、急ぎ足に観て回っていたつもりだったが、「君の名は。」の展示に達した時点で既に六時前になっていた。時の経つのも忘れる程に没頭していたらしい。展示の最後を飾る「クロージングムービー」も素晴らしかった。六作品の様々な人物の動作、表情、言葉、そして風景が、まるで一つの思いを表しているかのようだった。「ほしのこえ」でノボルを演じた鈴木千尋の美声も聞こえて、嬉しかった。
 出口とグッズ売場の間にはフォトロケーションがあった。「君の名は。」に登場した国立新美術館の写真展「郷愁」における糸守町の風景写真展示を再現していた。その全貌を撮影しておきたかったが、展示に見入っている人々がいたので断念し、一部のみ撮影しておいた。
 グッズ売場をじっくり見る余裕はなかったので図録と図録用バッグと「君の名は。」グッズのマッキーのみ大急ぎ購入して会場を出た。
 安藤忠雄展を観る時間はなく、日展を観る時間もあるはずがなかったのは残念だが、それでも大いに満足して国立新美術館を出て、再び東京ミッドタウン脇を通過し、六本木駅から都営地下鉄大江戸線蔵前駅へ。
 途上には両国駅を通過した。そもそも東京へ来たのは約七個月振りのことで、前回来たのは三月十九日、両国国技館における映画「ハイ☆スピード!」のイヴェント「岩鳶中学水泳部記録会お疲れ様パーティ」に参加したときのことだった今日、国立新美術館の「新海誠展」のクロージング映像で「ほしのこえ」における鈴木千尋の美声を聞いて両国の夜イヴェントにおける鴫野貴澄役の鈴木千尋を想起し、色々懐かしんでしまった。
 蔵前駅を出てみれば雨が降っていた。大急ぎホテルへ入り、暫し休憩したのち、ホテル内の食堂で夕食。雨を避けるためホテル内で夕食を済ませたが、済ませてみれば少し強気になって結局は外出。周辺を散歩してみれば、高名なバンダイの社屋があった。仮面ライダービルド等のポスターが掲示されていた。さらに歩いて、浅草寺の雷門へ。仲見世を歩き、参拝。雷門で何か物足りない気がしていたが、なるほど、門前の柳の巨木が切られていたからか。参拝を終えてホテルへ帰った。

 

 

 

 

 

 

 

 

twitterには詳論は相応しくない

 公開中の映画「Free!-Take Your Marks-」において七瀬遙は東京で住所を定めるにあたり橘真琴の住所と同じ鉄道沿線にあることを最優先していたらしいと判明したことを昨日twitter上に投じ、ここにも少し詳しく書いたが、twitter上の投稿は何時になく好評いただいているようで誠に有難い。そこでtwitterにはそれに続けて、ここに書いた詳論へのリンクを投じてみたが、今一つ反応を得ていないらしい。

 

七瀬遙は東京における住所を決めるに際して橘真琴の住所から気軽に通える位置にあるか否かを条件にしていたらしい

 昨日は出張。今日は出勤。そして残業する意はなかったのに、残業せざるを得なくなった。
 夜八時半に退出し、大街道のセレンディップ明屋書店アエル店に寄って学研「月刊アニメディア」十二月号を購入して帰宅。
 学研「月刊アニメディア」十二月号。巻頭には、映画「Free!-Take Your Marks-」(Free_TYM)公開と、テレヴィアニメ「Free!」第三期の制作が決定されたことに伴う特集記事が掲載されている(3-5頁)。注目に値するのは河浪栄作監督インタヴュウ(3頁)における幾つかの発言。
 それによれば、東京で学生生活を始める橘真琴の住所は、遅れて決まった七瀬遙の住所と同じ鉄道沿線に位置する由。しかし確かに、映画「Free!TYM」における両名の会話が明らかにしているように、七瀬遙が鴫野不動産に出していた当初の(換言すれば最低限の)条件は、どこか特定の鉄道沿線に位置しているべきであるという一点にあった。それがどの沿線であるのかは明らかではないが、橘真琴が先に決めてしまっていた住所と同じ沿線であることだけは、この雑誌における発言で確定した。七瀬遙は、自身の新たな住所が橘真琴の住所と同じ沿線にあることを、最優先の条件として想定していたということに他ならない。
 橘真琴が気軽に通って来ることのできる場所に住むことを、七瀬遙は望んだということ、そして七瀬遙が住んでいる場所に気軽に通えることを、橘真琴は望んだということであり、要するに、互いに直ぐにでも通える位置にあることを、二人ともに望んだということだろう。

 

インデイvs.ハイテク野郎Aチーム/ラストブシニャンとジャポン文化ガイドブック/竜宮城の乙姫のオモテナシの真相

 ニコニコ動画の「テレビ東京あにてれちゃんねる」(http://ch.nicovideo.jp/ch7)内の「妖怪ウォッチ」公式チャンネル(http://ch.nicovideo.jp/youkai-watch)で配信された第百九十五話を視聴。
 一。
 バスターズトレジャー編第十五回「インディVSハイテク」。
 ネコ2世とゾン・ビー・C(チョッパー)は不在。「大大大冒険家のインデイさんズラ」ことインディ・ジョーズとジバニャンとコマさんの三人がダンジョン攻略に挑んでいたとき、ロボニャンF型と蘊蓄魔とヒキコウモリの三者から成る「ハイテク野郎Aチーム」が出現し、どこにどのような罠が仕掛けられているのかを事前に計算してみせた。
 彼等三名の「ハイテク・データ分析」によればインディ・ジョーズが本物の冒険家である確率は〇パーセント。そして彼等のその計算によってインディ・ジョーズが罠にかかる確率は百パーセントであると予測された限り、間違いなくインディ・ジョーズは罠にかかった。しかるに、罠にかかる確率が〇パーセントであると予測された場合には、なぜか偶然の連続によってインディ・ジョーズは罠にかかった。インディ・ジョーズが罠にかかる確率の高さは、ハイテク野郎Aチームの計算を超えていた。
 この話で最も印象深かったのは、当初、ハイテク野郎Aチームの精緻な計算よりも「インデイさん」の勘を信じていたコマさんが、ついにはインディ・ジョーズの発言を疑い始め、ハイテク野郎Aチームの予測を信じるようになっていたところ。
 二。
 ラストブシニャンの文化の日
 ラストブシニャンのジャポンの歩き方第五回に相当するのだろうか。それとも番外編だろうか。
 普段のラストブシニャンはジャポンの歩き方についてトムニャンに学んでいるが、今回はトムニャンから授けられたガイドブックに従って行動し、結局は普段と同じく悉く失敗し続けた。しかしガイドブックが出鱈目を教えているのか、それともガイドブックの教えを厳格に守り過ぎた所為で読み間違えてしまっただけであるのか。
 三。
 妖怪乙姫事件。
 レジェンド妖怪の乙姫は、「オ・モ・テ・ナ・シ」と唱えながら過剰な「御持て成し」を施してくれる。御持て成しを施された者は、施されている間は大いに喜び、感謝する。しかるに唯一、感謝しなかった者があったらしい。それがウラシマニャン。乙姫がケータやジバニャンやウィスパーの前に出現したのは、ウラシマニャンを探し出したかったから。
 ウラシマニャンが乙姫の「おぞましさ」を恐れて逃亡したのは当然だった。なぜなら御持て成しは無償の奉仕ではないから。法外な料金を請求し、料金を支払えない者に対しては「玉手箱」を突き付け、数百年分の寿命を取り立てる。乙姫の竜宮城は、云わばボッタクリの風俗営業店のようなものだった。
 ケータとジバニャンとウラシマニャンが無事に逃れ得たのは、竜宮城の常連客であるらしい大富豪のヒキコウモリが料金を全て引き受けてくれたから。対するにVIPルームで豪遊の限りを尽くしたウィスパーは、莫大な料金の代償として、ケータの執事をつとめる権利を乙姫に剥奪された。乙姫はケータの執事になりたかったのか。