仮面ライダー響鬼35巻

テレビ朝日系“スーパーヒーロータイム”ドラマ「仮面ライダー響鬼」。細川茂樹主演。三十五之巻「惑わす天使」。
前回提起された「少年」=安達明日夢栩原楽人)の問題は自ずから解決した。問題など実際には存在していなかったからだ。持田ひとみ(森絵梨佳)が桐矢京介(D-BOYS中村優一)に手渡していた「ラヴレター」は同級生の他の女子から預ったものに過ぎなかった。真相を知って明日夢は大喜びだった。ともあれ劇中での平和な解決は不吉な問題を惹起する。
物語の第一話から第二十九話までの間、明日夢は基本的には皆から愛され甘やかされ肯定され、否定されることを免れてきた。否定する者がいたとしても、それは例の万引き少年のような理不尽な悪人だけだった。こうした描写の蓄積が出来するのは神聖不可侵の「輝く少年」としての明日夢の肯定と、それを否定する者への絶対的な否定であるのかもしれない。しかるに一切の否定を逃れる明日夢は、物事を何一つ真剣に考えることなく、己の精神を真に「鍛える」ことも知らないまま、微温湯の日常世界を怠惰に生きてゆくほかないだろう。それが本当に「輝く」人生であり得るのだろうか。少年の堕落、退廃を予感せざるを得ない。「少年の成長物語」として見るとき明日夢のこの神聖不可侵性はどうにも不吉なのだ。
こうした明日夢の神聖性を否定する者として入場したのが桐矢京介だったのは今さら云うまでもない。登場人物としての彼の意味が明日夢の否定にある以上、彼には一個の人格としての自立性がない。明日夢を否定したものが桐矢であって、云わば明日夢の影に過ぎない。だから世の桐矢嫌悪者が桐矢の人物像の薄さを非難するのは何とも見当違いな話だ。薄いのではなく元より存在しないのだ。とはいえ第三十話以降、桐矢少年が登場したことで明日夢は強力な否定に見舞われ、少しだけ人間味を帯びてきた。物語が生動し始めた。
だが、甚だ気になるのは桐矢の描かれ方が徒に悪役風であることだ。果たして桐矢は真に悪役に化してゆくのだろうか、それとも悪役でもないのに悪役風に描かれているだけなのだろうか。
もし後者であれば意外な事実に気付かされる。明日夢の否定としての桐矢の登場は、当の桐矢を悪役風に描くことで明日夢に対する否定を否定して、結局は第二十九話に引き続き明日夢の絶対肯定に帰着せざるを得ないからだ。所謂旧響鬼信者がどんなに口汚く新響鬼を否定しようとも新旧両響鬼は本質的には驚く程に見事に連続していることを知らされるのだ。
関連して気付くのは、不屈の闘志を備えた優等生の桐矢少年が悪役として描かれることで逆に「ツマラナイ」明日夢が甚だ理不尽にも「輝く少年」として描かれてしまう類の価値の倒錯がまさしく「響鬼」物語の世界像に通じていることだ。この物語において鬼は正義であり、童子と姫が悪であるが、常識では善悪の配役がこれとは逆であるだろう。かつて童子と姫それぞれの声が入れ替わっていたことも含め、この物語では二項対立における対立する二項間の転換・倒錯が支配的だ。それが独特な「世界」を生じているとの論もあるが、そうした世界の一環として、明日夢と桐矢との間の価値の転倒もあると云えるかもしれない。