旅行記三金龍山浅草寺大絵馬寺宝展と伝法院庭園拝観

旅行記三。
朝、少し早めに起きて九時三十五分頃にホテルから外出し、上野駅前のヨドバシカメラで念のための買物をしたあと、日比谷線で広尾へ。有栖川公園の東京都立中央図書館で、或る人物の伝記に(本当は関係ないはずであるにもかかわらず)関係のある史料の全頁の複写。複写し終えて史料を返却したとき十一時半頃で、直ぐに図書館を出て次の目的地である浅草へ行こうかとも思ったが、序に幾つか別の史料も閲覧してみたところ別の画家に関する史料を発見し得たので、それも複写して、結局、図書館を出たのは昼二時半頃。昼食を摂る暇もなく広尾駅へ急ぎ、東銀座駅で都営浅草線へ乗り換えて浅草駅へ。
昼三時頃、浅草寺の雷門の前に到着した。ここへ来たのは確か二度目。一度目は大昔、学生時のことだったろうか。当時は浅草の面白さを解する能力を未だ欠いていたが、それでも興奮を覚えたものだった。今では見るもの全てに感動を覚える有様。しかるに、ゆっくり見物する時間の余裕もなく、浅草寺五重塔の脇(絵馬堂)にある浅草寺特別展示館へ急いだ。四月二十八日までの間、この金龍山浅草寺では平成本堂大営繕記念「大絵馬寺宝展と庭園拝観」と銘打ち、特別展示館の寺宝と大絵馬を公開し、併せて、昔は一般に公開されなかった伝法院の庭園も特別に公開している。しかも入場料収入は大震災の復興支援のため東北へ送られるとのこと。
展示されている大絵馬の数々の素晴らしさには驚嘆せざるを得ない。浅草といえば江戸の庶民の街だと思われているが、ここに展示されてある華麗な大絵馬の数々を見るなら、高雅な文人書画家たちの文化と俗の力に満ちた庶民の文化とが浅草において見事に融合していたことを実感できる。
浅草寺の絵馬の中でも最大規模の絵馬と云われる伊予国今治藩出身の沖冠岳筆の大作《四睡》はその強烈な例で、端麗な筆致で不気味なまでの力を表出したその味わいの延長上に、掛幅における彼の傑作《百猩々図》を見ることができるだろう。
絵馬堂を出たあとは伝法院の庭園を拝観。ここは庶民から隔絶した貴人の世界の観を呈する。公家と将軍家と文人書画家と町人それぞれの文化が同居し融合して浅草の面白さを生じているのだろうか。
夕方四時頃に庭園を出て、もう一度、絵馬を眺めたあと、四時十五分頃に会場を出て、浅草観音浅草神社に拝礼。参道の店を眺めながら歩き、小さな文殊菩薩像を購入し、人形焼を購入して食べながら歩き、少し引き返して伝法院通から浅草六区通へ進み、浅草芸人の顔写真を見物して、再び参道へ戻り、五時四十分頃、雷門の脇にある天麩羅屋で遅めの昼食を兼ねた早めの夕食。銀座線の浅草駅から上野駅へ戻り、ホテルへ帰った。