東京駅の怪盗ジョーカーストリートワゴンショップには行けるのか/劇場版SAOブルーレイ&DVD完全生産限定版を予約完了

 慌ただしく過ごしている間に八月も早くも上旬を過ぎようとしているのか。焦る。
 東京駅のキャラクターストリートにおいて期間限定で開かれている「怪盗ジョーカー ストリートワゴンショップ」は、今月一日に始まって十七日に終わる。何としても十七日までには東京へ行きたいと願望してはいるが、果たして行けるのだろうか。
 そうした中、来月二十七日に発売される「劇場版ソードアート・オンライン オーディナル・スケール」のブルーレイディスク&DVDについては「完全生産限定版」の予約の受付が(少なくともANIPLEX+では)既に六月三十日に始まっていて、来月十八日に締め切られる。今なお予約していなかったので、今宵、慌てて予約を済ませた。
 HMVで予約するか、Amazonで予約するか、アニメイトで予約するかを思案した結果、HMVの特典が既に品切になっていること等も踏まえ、制作者の直営店ということで無難にANIPLEX+(アニプレックスプラス)で予約しておいた。
 ANIPLEX+では流石、“ANIPLEX+限定「ミニファンブック」”と“選べる特典”が付くことになっていて、この“選べる特典”というのは、「キリトセット」と「アスナセット」と「SAOセット」の三種からどれかを選択できるという方式。そこで殆ど迷うこともなく、ブルーレイディスクについては「キリト」、DVDについては「アスナ」を選択した。もっとも「SAOセット」も気になるところではある。もう一つ予約しておくかどうか。
https://www.aniplexplus.com/itemPrWgwbUT」。

魔法少女リリカルなのはReflection

 休日の昼食に「君の名は。吉野の高山らーめん」一つ。漸く蓋の裏面に書かれた「お前は誰だ?」を実見できた。食べ終えたあと蓋と器を保存すべく慎重に洗浄したが、脆弱な材質であるから完全には綺麗にできないし、保存方法も難しい。
 今日は新居浜へ行こうか?と思ってはいたが、新居浜へ行くには遅い時刻になっていたので、久し振りに衣山のシネマサンシャイン衣山へ。
 昼二時四十分から映画「魔法少女リリカルなのは Reflection」を鑑賞した。予備知識ゼロでも楽しめたが、話は完結しなかった。完結した話を知りたければ来年公開予定の続編を観なければならないのか。そのときまで興味を持続させるのは、かなり熱心なファンでもなければ難しいのではなかろうか。そこに最も驚かされた。
 もう一つ驚かされたのは、上映後、退場すべく背後を振り返ってみれば沢山いたはずの客が一人を除いて残っていなかったこと。あまりにも早過ぎる退場ではなかろうか。いつの間に消えたのだろうか。ちなみに客は全員男子だった。
 ともあれ、本編終了後の週替わりオマケ映像も含めてそれなりに楽しめた。芝居にも歌にも水樹奈々大活躍で、新居浜に行きたくなった程。パンフレットを一冊購入して映画館を出た。久し振りの衣山の夜を眺め、ウドンでも食べて帰ろうかと思わなくもなかったが、最近は少食化しているので食材を買って帰ることにして、一階で「マギ」第三十四巻と「マギ シンドバッドの冒険」第十四巻を買い、本町の大型食料品店に寄って帰宅した。

SAOコミカライズ版マザーズ・ロザリオ第三巻

 葉月翼作画/川原礫原作/abecキャラクターデザイン『ソードアート・オンライン マザーズ・ロザリオ』(KADOKAWA電撃コミックスNEXT)。
 第三巻。
 ソードアート・オンライン物語集における最重要の物語の、最重要の局面を描く最終巻。
 ユウキとアスナとの間の愛、そしてキリトとユウキとの間の連帯がじっくり描かれ、別れの場の、マザーズ・ロザリオの伝授と、大勢の妖精たちの集結にまで至る流れは読者の涙を誘わずにはいない。
 今あらためて思うに、「劇場版ソードアート・オンライン オーディナル・スケール」は、ソードアート・オンラインについて何の予備知識もないまま映画で初めて接する者でも、想像力さえ働かせれば充分に理解し没入し得るような形で、極めて柔軟に作られていたが、そんな中で殆ど唯一、予備知識のない者には謎のまま留まるしかなかった要素が、アインクラッド第百層「紅玉宮」の決戦におけるユウキとマザーズ・ロザリオの顕現に他ならなかった。それは当然だったろう。なぜなら余計な説明を加えれば意味の深さを損ないかねないが、意味を存分に表したければ映画一本を丸ごとそのために費やさざるを得なくなるから。しかし原作でもテレヴィアニメ版でもコミカライズ版でも、兎に角「マザーズ・ロザリオ」の物語を一瞥だけでもできたなら、映画の終盤におけるあの瞬間の意味は自明であり、何の説明も要らなくなる。
 ところで、映画の前半、オーグマーの拡張現実の世界「オーディナル・スケール」の大流行によってアミュスフィアの仮想現実の諸世界が衰退しかかっていたとき、それでもなおアルヴヘイム・オンラインガンゲイル・オンラインのような旧世界に留まり続ける人々として、シルフ領主サクヤ、ケットシー領主アリシャ・ルー、サラマンダー領ユージーン将軍、ダインとレコンの他にギルド「スリーピング・ナイツ」のシウネーとジュンが登場した。あのとき「スリーピング・ナイツ」の家にシウネーとジュンの二人しかいなかったのは、もはや二人しか生き残っていなかったからであるという厳しい現実を、今回、第三巻を読んで再認識し得た。そして二人がアルヴヘイム・オンラインの世界に留まり続けるのは、ユウキをはじめ別れた仲間たちの思い出の土地であるからであるということを、認識し直すこともできた。そしてユウキからは「お子様」と笑われてしまったスリーピング・ナイツのジュンが、シウネーと二人だけになってもギルドを守り続けていたところも味わい深い。
 映画「劇場版SAO オーディナル・スケール」は予備知識ゼロでも楽しめる作品だが、予備知識があれば意味がどこまでも豊かに深まるということの一例だろう。

台風の通過する中で宅配便を待っていただけの休日

 折角の休日。しかし宅配便の到着を待っていただけの一日。
 思うに、台風の四国通過が宅配便を遅延させた面もあったのだろうか。宅配便のサイトで配送の状況を確認した上で朝から一歩も外出せず荷物の到着を待ち続けたが、いつ来るのか判らないまま時間を過ごし、結局、荷物は夕方六時前に到着。休日を丸ごと無駄にして悲しかった。
 そもそも一週間も前に「在庫あり」で注文した商品を一向に発送しなかったゼビオが悪い。しかし改めて省みるなら、ゼビオの通販の評判の悪さを事前に把握できないまま気軽に注文してしまった吾が情弱振りが一番悪いと云われるのかもしれない。
 こうして折角の休日を殆ど丸ごと無駄にはしたが、兎も角も漸く安心して外出できる身となったところで、豆腐と豆乳を買いに外出。これが今日の唯一の外出。今宵は涼しかった。

youtubeモンストアニメ公式チャンネル第二期第十九話

 youtubeモンストアニメ公式チャンネル(https://www.youtube.com/channel/UCWzenZSy9GJBcPzdSm-UX5w)で「モンスターストライク」アニメ本編を視聴。
 第十九話「女海賊アルビダの奮闘」。
 焔レン、オラゴン、水澤葵、若葉皆実、影月明、マナ・リビングストン、ワルプルギスは、班目グループCEOのミスター班目穣のプライヴェイト・ジェットで台湾旅行に招待された。
 班目穣が秘書とミロクを連れて台湾に来たのは、巨大なモンスター反応が台湾において消滅したことの真相を探るため。そこへ焔レンの一行をも招待したのは、何か異変が生じて戦闘が始まった際に「保険」として利用するためだった。
 台湾において消滅した巨大なモンスターとは、海を守る女神、媽祖に他ならなかった。媽祖が行方不明になった結果、女海賊アルビダと提督カレン・ネイヴィス率いる海軍との間の勢力均衡が破れ、戦争が生じていた。アルビダの海賊仲間であるエドワード・ティーチとサン・カモメーノは、媽祖は殺されたのであり、殺したのはカレン・ネイヴィスに違いないと主張したが、オラゴンはエドワード・ティーチとサン・カモメーノの二人こそ犯人ではないかと直観し、焔レンにその旨を耳打ちした。あたかもこの直観の正しさを裏付けるかのように、媽祖の臣下である千里眼が現れ、媽祖は必ずやどこかで生きていると断言した。
 気になるのは、アルビダが守っている少女の存在。何者であるのか。当人も自身の名を憶えていない。憶えているのは、かつて父を海で見失ったこと、そして自身はアルビダに救出されて生き延びたということ。この悲しい過去は、媽祖の境涯に一致してはいないか。この少女こそは姿を変えられた媽祖ではないのだろうか。
 今回、カレン・ネイヴィスとのアルビダの戦闘には、焔レンは龍馬で、影月明は神威で、若葉皆実はナイチンゲールで、そして水澤葵はノストラダムスで参戦。ナポレオンの帽子はアルビダの帽子と似ていて紛らわしいかもしれないから、ナポレオンではなくノストラダムスで参戦したのは正しいのかもしれない。
 声優陣も注目に値する。アルビダを演じるのは戸松遥。カレン・ネイヴィスを演じるのは遠藤綾。「妖怪ウォッチ」で云えばケータとコマさんが対決しているに等しい。アルビダの声の凛々しく強い気高さは「ソードアート・オンライン」のアスナに通じる。その声が「妖怪ウォッチ」で無茶苦茶な台詞を連発しているのは、あらためて考えると凄まじい。

パソコンが更新のために存在している

 暑さの所為か疲れているので早めに寝るようにしているが、あまりにも暑くて冷房が充分には効いていないからか未明に一度は起きてしまうので、連続では三四時間程度しか寝ていないことになるようで、なるほど存分に寝た気がしない。
 それで今宵(日曜の未明)、不図起きたとき不意にパソコンの起動の音声が聞こえ、観ればウィンドウズでは馴染みの勝手な更新と勝手な再起動を強行された直後だった。今やパソコンは使用のために存在しているのではなく更新のために存在しているのであると云うも過言ではない。