妖怪ウォッチ第二百十四話=最終回/テレヴィアニメ放送四年間とニコニコ動画における吾鑑賞三年間を回顧してみる

 ニコニコ動画の「テレビ東京あにてれちゃんねる」(http://ch.nicovideo.jp/ch7)内の「妖怪ウォッチ」公式チャンネル(http://ch.nicovideo.jp/youkai-watch)で配信された第二百十四話を視聴。
 約四年間放映されたテレヴィアニメ「妖怪ウォッチ」の最終回。
 検索してみるに放送開始は二〇一四年一月。そこで、この日記を検索して吾が「妖怪ウォッチ」鑑賞の始まりを回顧してみれば、世間における「妖怪ウォッチ」大流行を確と意識し始めたのは同年十月四日で、その面白さをyoutube上の非公式動画で垣間見たのが同年十二月二十二日。あらためてニコニコ動画の公式チャンネルで観始めたのは同年十二月二十三日、同年十二月三十日までには全話を視聴し終えた。翌日にはNHK紅白歌合戦」における「妖怪紅白歌合戦」を愉しみ、翌年一月十九日の夜七時二十分、シネマサンシャイン衣山で「映画 妖怪ウォッチ 誕生の秘密だニャン!」を鑑賞し、大いに感銘を受け、二月一日にもエミフルMASAKIのシネマサンシャインで二度目の鑑賞をした。想えば、同じ映画を二度以上鑑賞した最初がこれだった。声優の存在をあらためて気にするようになったのも、ケータの戸松遥やフユニャンの梶裕貴の声に魅了されたからだった。「妖怪ウォッチ」を愉しんだ三年間以上の間で本当に楽しかったのは実は数ヶ月間だけ(その間に過去まで遡ったとはいえ、それを含めても約一年間と数ヶ月間だけ)だったのかもしれないが、一時は「ドラえもん」や「ポケットモンスター」に続く安定感を得るかと期待されていた作品がこのように終わってしまうのは実に悲しい。
 大人気が短期間で終わった原因は色々ありそうだが、無用の改革を重ね過ぎたのが最大の原因だったろう。社会現象とも呼ばれた大流行の象徴は「ようかい体操第一」だったのにそれを一掃してしまったり、もともと男児のための漫画・ゲーム・アニメだったのに男児が戸惑うような要素(ニャーKBのような)を増加させたり。さらには、誰も望んでいなかったような主人公交代劇を仕掛けた結果、面白さの基本構造(変な事件の中で妖怪を発見し、友達妖怪の力を借りてそれを退治して友達妖怪を集め、戦闘力を増強させてゆく)をも喪失させてしまったり(一体、イナホはどのようにして大勢の友達妖怪を獲得したのか?その過程は殆ど描かれていなかった。様々な事件に遭遇しながら一から友達妖怪を獲得していったケータと、そうした過程を経なかったイナホが二大主人公として並び立つことに、どうして納得できようか)。実に勿体ないことをしたと云わざるを得ない。
 ともあれ、最終回にはケータとジバニャンの特別な関係を存分に描きながら、ジバニャン=アカマルの思い出の人であるエミちゃんを再登場させ、コマさん&コマじろうをはじめ思い出深い数多くの妖怪たちを勢揃いさせていて楽しめた。絵も綺麗だった。良い最終回だった。

妖怪ウォッチ第二百十三話/コマさん&コマじろう兄弟の岡山もんげー旅行/ロボニャンF型と隕石/ロボット化ウィスパー生還の武勇伝/やまとの矛盾とトムニャン&ラストブシニャンの矛盾

 今宵は久し振りに引越の荷物の開梱を推進。残るは三十三箱のみ。来週までには広々とした快適な空間を回復し得るのだろうか。
 ところで。
 ニコニコ動画の「テレビ東京あにてれちゃんねる」(http://ch.nicovideo.jp/ch7)内の「妖怪ウォッチ」公式チャンネル(http://ch.nicovideo.jp/youkai-watch)で配信された第二百十三話を視聴。
 一。
 コマさんコマじろうの日本全国もんげー!旅(第九回/通算十回)。IN岡山。
 コマさん&コマじろう兄弟の用いる「もんげー」が岡山の語である以上、「日本全国もんげー!旅」企画が発足したとき以来その行先に岡山が選ばれることは期待されていたが、反面、今日の岡山において「もんげー」が殆ど用いられていないらしいことも予て話題になっていた以上、岡山を「もんげー」の郷として描くことには無理があるのではないかとも思われていた。実際、この旅でコマさん&コマじろう兄弟は岡山における「もんげー」の同義語として「でーれー」と「ぼっけー」を知った。しかもその上でコマさんは「もんげー」こそが自身の感情に最も合う語であると選択するに至った。この瞬間、コマさんの「もんげー」は岡山を離れてコマさん自身の言葉と化したと云うも過言ではない。
 二。
 最強!?ロボウィスパー誕生!事件。
 ケータとジバニャンとウィスパーがロボニャンF型と一緒にいるとき、隕石が地球に接近する事態が発生し易い。前回は初代のロボニャンF型が隕石を止めて自爆した。今回は二代目のロボニャンF型によってロボット化されたウィスパーが隕石を止めた。
 三。
 妖怪やまと事件。
 冒頭、ウィスパーはケータに「本当、危機一髪だったんディスから」と己の武勇伝を語っていた。隕石の衝突から地球を救ったのであるから、確かに素晴らしい武勇伝であるはずだが、ケータは殆ど無反応だった。多分、ウィスパーは同じ武勇伝を何度も何度も鬱陶しく繰り返したのだろう。
 この話にはトムニャンとラストブシニャンも登場。第二百十二話にイナホとUSAピョンとジェリーが登場したのと同じく、主要な登場人物を一通り回顧しようとしているかのように見える。
 妖怪やまとは英語を禁止するが、当人は英語を当たり前のように使用している矛盾。対するにトムニャンとラストブシニャンも、ジャポンの文化を勉強していると主張しておきながら、結局はメリケンの風味に塗り潰された形でしかジャポンの文化を味わおうとはしない矛盾。

妖怪ウォッチ第二百十二話/イナホとUSAピョンが久し振りに登場/学級の皆を呆れさせた激辛フミカ/コマさんバス内で全裸で総ナメにレロレロさせたケータ

 ニコニコ動画の「テレビ東京あにてれちゃんねる」(http://ch.nicovideo.jp/ch7)内の「妖怪ウォッチ」公式チャンネル(http://ch.nicovideo.jp/youkai-watch)で配信された第二百十二話を視聴。
 一。
 妖怪大合戦「土蜘蛛vs.大ガマ」四回戦。
 今回は最初、久し振りにイナホとUSAピョンが登場し、「イナウサ不思議探偵社」として話が始まり、そこに依頼人としてケータとジバニャンとウィスパーが来訪し、依頼の用件が土蜘蛛や大ガマ、オロチ、キュウビの無意味な争いだったという展開。結局、真の解決を得たのは、土蜘蛛の元祖軍と大ガマの本家軍に使われていた「うんがい鏡」のみ。そもそも両軍の争いの場にケータを招いたのは、ケータであれば争いを治めてくれそうであると期待していた「うんがい鏡」だったらしい。
 二。
 妖怪激辛ボーイ事件。
 またもフミカは学級の皆の眼前で変な行動を見せ付けた。もちろん妖怪の所為。しかるに途中からはイナホとUSAピョンが合流し、イナホが暴走を見せた。残念なことに、フミカの暴走は楽しいが、イナホの暴走はそんなに楽しくはない。その差は、イナホがここでも妖怪の力を軽く凌ぐ強さを発揮してしまうからだろう。
 イナホの愛好する「セラピアーズ」は意外に恐ろしいアニメであるらしいと判明した。
 三。
 コマさんバス事件。
 コマさんタクシーに代わるコマさんバスの登場。妖怪激辛ボーイ事件に登場した全妖怪の内、USAピョンを除く皆が召喚され、バスで懺悔の旅を強いられた。しかるに、反省しなかったのがケータと総ナメ。総ナメに全身を「レロレロ」させるためケータはイナホの前でも構わず全裸になっていた。
 そして反省しなかったどころか大いに寝ていたのはジェリー。コマさんバスがロボニャンF型の攻撃にも何一つ打撃を受けない程に強力であることも忘れない内に記しておく。

初の出勤日に風邪を悪化させる

 初の出勤日。退出は夜になったが、大型食料品店ヒカリ屋に寄る余裕は充分あった。しかし今宵は、やや風邪を悪化させたらしかったので、引越の段ボール箱を一つも開梱する余力なく早めに寝た。

新年度の初の休日/初めてイオンモールKYOTO店へ/初めてT・ジョイ京都へ/映画さよならの朝に約束の花をかざろう鑑賞一回目

 京都における新年度の初めての休日。
 朝八時頃まで寝ていた。前夜に買っておいた朝食を摂りながら不図、youtubeで偶々「葵徳川三代」を見始めてしまい、おもしろくて止められなくなっていたが、そろそろ中断して外出すべし!と思い、準備を整えて夕方に外出。椥辻駅から山科駅を経て京都駅へ。
 夕方五時頃、イオンモールKYOTO店に初めて来て、最上階にある映画館T・ジョイ京都に初めて来て、五時九分、当日券を購入。二時間もの時間の余裕があったので下階の食堂へ行き、煮鯖と天麩羅の定食で、遅い昼食を兼ねた早めの夕食。なおも時間の余裕があったので、一階のnana's green teaに入り、焙じ茶ラテで暫し休息。
 夜七時八分、あらためて最上階のT・ジョイ京都へ。かねて観たいと思いながら観る機会を得なかったアニメイション映画「さよならの朝に約束の花をかざろう」を漸く観ることができるに際し、先ずはパンフレットを購入しなければならないと思っていたが、生憎ここT・ジョイ京都ではパンフレット完売。もはや入手できないのだろうか。極めて残念。ロビー内どこにもポスターがないのも寂しいことだった。出遅れ過ぎたのだろうか。
 ともかくも夜七時二十五分から九時二十五分までの間、T・ジョイ京都のシアター12において映画「さよならの朝に約束の花をかざろう」を鑑賞した。
 こんなにも美しく優しい作品を今日まで観ることができなかったことを残念に思ったが、同時に、遅れ馳せながら辛うじて何とか観ることができただけでも本当に幸いであると思った。
 そして不図想えば、映画館で映画を鑑賞したのは、二月十八日、ユナイテッド・シネマ今治で「劇場版SAO」十六回目の鑑賞をして以来、実に六週間振りになるのか。実に永らく余裕のない生活を続けていたことを再認識し得た。
 しかし余韻に浸る余裕もなく慌ただしく京都駅へ戻り、山科駅を経て椥辻駅へ。MEGAドンキで座椅子を買い、コンヴィニエンス店で明日の朝食と昼食を買って帰宅。明日の職場へ提出すべき書類への記入に没頭していたらいつの間にか深夜一時を過ぎていた。早めに寝なければならない。

 

 

 

松山の職場を引き払い終わる/昼に小会/帰宅後テレヴィで松山を見る/オールスター感謝祭

 朝五時三十五分頃、夜行バスで松山市駅へ到着。最後の出勤のため夜行バスに乗ったが、この移動手段は非常手段としては使えるにしても自分には向いていないと認識し得た。今後もし使うにしても大阪駅ではなく新大阪駅から出立すべきであると知った。ともかくも早朝の松山は極度に寒かった。あまりにも朝早く、既に家もないので居場所がなく、先ずは松山市駅前のコンヴィニエンス店に入ったが、所謂イートインの空間がなかったので温かな飲物だけ買って店を出て、別のコンヴィニエンス店に入り直してそこで朝食。そして朝六時頃には職場へ行き、残っていた荷物の片付けに没頭。昼を過ぎた頃には一応の完了。遂に職場を去った。
 近所の職場の知人から連絡があったので、昼十二時半頃、近所のホテル一階のレストランで昼食。その人も大阪へ行く用件ある由だったので、ともに松山駅へ。三時二十八分に発って、岡山駅で別れを告げたあと、新幹線で今ひとりで京都へ帰ろうとしていて、こうしていつのまにか四国愛媛県松山市から去っていたことをあらためて認識した。大きな節目は不明瞭になるのだろうか。京都駅から山科駅を経て椥辻駅に至り、大型食料品店ヒカリ屋で夕食と朝食と苺を買って夜八時頃には帰宅。
 テレヴィを点けてみれば、蛭子能収松山道後を旅行していた。他方、この季節の恒例の番組「オールスター感謝祭」を見れば、平野紫耀が出ていた。唐沢寿明ティームにいるのは仮面ライダービースト永瀬匡だった。平野紫耀が「リトライ」を「リストラ」と言い間違え続けていたことを明かしたのは中川大志か。