twitterに載せた典道論を転載

 昨日ここに書いた「打ち上げ花火」典道論をtwitter上にも別の趣旨に書き直し、六回に分けて載せたので、ここにも録しておく。
*****(以下、六回分をそのまま転載)*****
 昨夜「打ち上げ花火」を鑑賞したので改めて典道の「エロい」魅力の所以をここに記しておきたい。長文になりそうであるので数回に分割。
 典道の魅力の真相の露頭は馬車と城の場面にある。あのとき典道は王子であると同時にマギでもあった。このマギはガラスの靴を履かせる代わりに、ガラスの馬車が空を駆けてガラスの城をめぐる世界を創造した。
 しかし興味深いことに、なずなもまたチェネレントラであると同時にマギでもあったろう。冴えない典道を勇敢な王子に仕立てたマギに他ならない。
 チェネレントラであると同時に王子又は王女でもあり、マギでもあるという多面性を、なずなと典道は共有していた。しかし、なずなが普段から美少女として輝いているのに比して、典道の美しさは誰にも気付かれない。
 その意味で典道の多面性の方が深い。そしてチェネレントラ(シンデレラ)の形容には一段と相応しい。
 なずなが自身の魅力と価値を自覚できているのに比して、典道が自身の魅力にどこまでも無自覚であり、その美しさも官能性も天然そのままである点も含めて、なずなよりも典道こそが「エロい」と云える所以がそこにある。
*****(以上、六回分をそのまま転載)*****