みんな昔は子供だった

フジテレビ系ドラマ「みんな昔は子供だった」。国仲涼子主演。第九話。
瑛太がよい。でも瑛太がよくてもドラマがよいということにはならない。
この物語は設定においても展開においても荒唐無稽なところがあるが、無論それだから駄目だというわけではない。なにしろ荒唐無稽の度合いでは「ごくせん」の方がもっと全方位的に徹底して凄いのだ。でも、「ごくせん」は断然面白く、「みんな昔は子供だった」は一向に面白くなろうとしない。一体この差は何だろうか?前者がよくて後者が駄目であるのは何故だろうか?
結局のところ、作品それ自体の総合力の違いであるとしか云いようがない。「ごくせん」は荒唐無稽な設定の物語をそれに相応しく表現していて、一個の作品として完全に統一された世界を構築し得ている。そこには勢いが生じている。たとえ出演者たちに演技力が少々不足していたとしても、それをも逆手に取り、補って余りあるだけの力がそこにある。もちろん主演女優の漫画風の美貌や脇役の生徒たちの鋭角的な姿の反面の行動の愛らしさも、作品の総合力を増強しているだろう。
そういった総合力が「みんな昔は子供だった」には欠けている。現実味の脆弱な設定と強引な展開が、叙情性を偽装した絵との間に不協和音を鳴らしていて、一個の世界としての統一性がない。例えば今宵は主人公の過去の秘密が明かされたが、今一つ理解できなかった上、あっさり語っただけで呆気なく終わってしまった。叙情性のためには盛り上げは不要と考えてのあの表現だったのかもしれないが、やはりあれはもっと確り盛り上げておくべきではなかったか。主人公の苦悩がどれだけ重く切実であるのか、あれでは容易には伝わらない。内容が求める形式を、全く実現できていないのだ。実のところ主人公は未だ正体を見せていないのかもしれない。あの人物の行動を統一的に了解するには実は狂気の存在を前提しなければならないかもしれないのに、このドラマは一切それを描こうとはしない。だから駄目なのだ。