月九スローダンス

フジテレビ系「月九」ドラマ「スローダンス」。妻夫木聡深津絵里主演。衛藤凛脚本。永山耕三演出。第八話。
愛のない肉体関係に意味があるのかどうか?というのが今宵の主題であるのは見易い。問題は小池実乃(広末涼子)と芹沢英介(藤木直人)との鹿児島での一夜をめぐり提起され、それについて大いに論議し合っていたはずの芹沢理一(妻夫木聡)と牧野衣咲(深津絵里)との間にもそのまま同じ問題が生じたところで今宵の第八話が終わった。その間には、恋の悩みを肉欲に走ることで忘れようとする小池実乃が長谷部幸平(田中圭)をも誘惑したのに対し、この女に片想いのこの男が、己の欲望を敢えて鎮めて、愛のない肉体関係は悩みを消してくれるどころか反対に傷を深めるものでしかないのではないかと諭すという場面もあった。
見逃してはならないのは、愛のない肉体関係に意味があるのか?という問題について「ない!」と応えることがこのドラマの結論ではなく、むしろ前提であるという点だ。愛のない肉体関係に意味はないという命題が自明のこととして想定されている。従って第八話の最後で肉体関係を結んでしまった理一と衣咲との間には、両名の行為が無意味ではない限り、確かに愛があるはずであるという結論が、この前提から導出されなければならないのだ。そう考えれば実に論理的なドラマであるかもしれないが、その論理が余りにも直線的で単純明快で、面白味がないのは間違いない。だが、愛のない肉体関係に意味があるか?という問題に意味があるだろうか。意味があるとしても面白味があるだろうか。問題それ自体として馴染みある類のものではあるが、果たして真に切実な問題であるのだろうか。特別に深い愛があるわけでもない相手との関係の只中にも実はそのとき限りの身体上の愛があり得るわけで、果たしてそれは本当に愛のない関係と断罪されなければならないものなのかどうか。さらに云えば、経験豊富な人々には往々、真に大切な相手には肉欲を抱かない場合さえあるわけで、快楽追求の果てに純愛の境地に達するとはその謂いに他ならない。