音楽戦士KAT-TUN

日本テレビの深夜番組「音楽戦士 MUSIC FIGHTER」は、四国松山の南海放送では東京よりも一週間遅れて放送されているようだ。「Wikipedia」を見ると南海放送では十四日遅れて放送されていると記されてあるが、多分その後また変更があったと思しい。というのも「音楽戦士」にKAT-TUNが出演した回の第一夜は先月二十四日放送分だったと聞くが、松山ではそれは同月三十一日に放送されたからだ。で、そのとき出張中で四国にいなかったため見ることができなかったのを今宵ようやく録画によって見ることができた。最初の挨拶のとき、田中聖が目の前にいた亀梨和也の頭を真顔で唐突に叩いたのには少し驚いた。亀梨が痛がっていた。KAT-TUNは激しい。で、今より五年前、二〇〇一年三月十六日、ジャニー社長の創案によって新たな六人組が結成され、「KAT-TUN」と命名されたとき、田中はその名称を「ダッセー」と感じたばかりか、一緒に組まされることになった他の五人を嫌っていたらしい。田中だけではなく皆が互いに嫌い合っていたらしい。でも少なくとも田口淳之介一人はKAT-TUN六人組で一緒に頑張ってゆきたいと意欲に燃えていたらしい。なるほど殴り合いの内紛が絶えなかった挙句、一時は解散の危機にまで陥ったというのも、そんな人間関係があったのであれば仕方がない。逆にそう考えると彼らの初DVD「お客様は神サマーConcert・55万人愛のリクエストに応えて!」後半の、涙の告白と決意表明の場における田中と亀梨と上田竜也の涙に想像以上に深遠な意味があったろうことを想像できる。