時効

本日の夜十二時(明日の午前零時)、筑波大学人文社会学系棟における五十嵐一助教授殺害事件の時効だそうだ。十五年も経つのか。夕方TBS系のニュース番組では小田晋名誉教授(社会医学系)が思い出を語り、夜のフジテレビ系のニュース番組では土本武司名誉教授(法学系)が遺体発見のときの印象や今後の捜査のことを語っていた。五十嵐助教授の授業には出ていたし、研究室を訪ねたこともあるが、実に、学生たちに学問への憧れをかき立てることに秀でた人だった。先生の或る特殊講義の初日、受講を希望する学生が多過ぎたため教室を大講義室に変更することになって大群衆で移動したのを想起する。現代文学・美学の講義だったのに、古代ギリシア語や中世ラテン語の文句が当たり前のように引用され、時にはホメーロス叙事詩イーリアス」を朗々と歌い上げ、或いは「コーラン」の一節を大教室内に響き渡らせたこともあった。小田晋先生とは本当に仲がよかったようで、授業でも「オダシン」こと小田先生や中川八洋教授(国際政治学)の名前が度々登場して笑い話のネタ化していた。国内のイスラーム教徒が殺人を犯した件で警視庁の依頼により小田先生が精神鑑定を行ったとき五十嵐先生が通訳を引き受けたという話もあった。そのとき小田先生が医学・心理学の立場からマニュアル通りに鑑定を行おうとしたのに対し五十嵐先生はイスラーム学者の立場から反論し弁護したこともあったと語っておられた。湾岸戦争が勃発し日本人が人質に取られた際には自由民主党の「賢人会」に招かれて講演をしたそうで、その直後に行われた緊急講義では当の会で述べたと云う極めて興味深い驚異の提案について報告してくださった。その内容にも驚かされたが、それ以上に凄いのは、古代ギリシア数学や中世イスラーム医学を研究してきた美学芸術学・比較文化学者が有事に至り権力の中枢に招かれ、意見を述べていたという事実それ自体ではないだろうか。学問や教養は決して無力ではないということを実感させてくれる稀有な大学教師だったのだ。