ザテレビジョン記事

本日発売のテレヴィ雑誌を購入。気になった記事二三の所在と概要のみ録して覚書。「ザテレビジョン」二〇〇六年四十七号。
(一)三浦春馬インタヴュウ記事あり(p.57)。現在放送中の日本テレビ水曜ドラマ「14才の母」で彼の演じる桐野智志について語っているが、撮影現場での共演者との交流の話も面白い。桐野智志の母を演じる室井滋とは演技中には怖い位の迫力に圧倒されつつ、撮影の合間には互いの飼い猫の話題で盛り上がり(「やっぱり猫が好き」なのか)、志田未来からはツナ缶についての薀蓄を「機関銃」のように延々聴かされているそうだ。
(二)法政大学教授の稲増龍夫がまた変なことを述べている。先々週放送されたNHK大河ドラマ功名が辻」における関ヶ原合戦の話を「裏切る側からの」描写として捉え、家の安泰という「利己的動機」を優先した山内一豊の選択を「本来の武士道精神からはいかがなものかという着地点」と形容した上で「現代人から見れば至極当然の理屈」と肯定し、「今回のドラマの現代性を象徴している」と評価しているのだ(p.96)。何と杜撰な論理だろうか。山内一豊は実在の人物であるということ、関ヶ原で彼が豊臣方を裏切り徳川方に付いたのは史実なのだということを見落としてはならない。そもそも「本来の武士道精神」とは何のことか。「利己的動機」から主君を裏切るのは古代中世を通して武士たち皆が繰り返してきたことだ。或る意味、裏切ってでも勝つこと、勝つためには裏切ることをも辞さないことこそが武士の道だ。「忠義」のために自己を犠牲にするのはむしろ近世の天下泰平の中で膨れ上がった夢想、云わば現実を乖離した理想の「武士道精神」でしかないのではないか?と考えるだけの知性が必要ではないだろうか。そして何よりも問われなければならないのは、山内一豊の選択は「裏切り」だったのかどうか?という点に他ならない。もし彼や黒田長政をも裏切り者として捉えてしまったら、当時どうして小早川秀秋ばかりが裏切り者として批判されなければならなかったのか全く理解できなくなってしまうではないか。裏切るとはどういうことなのかをよく考えてから発言して欲しいものだ。