月九ドラマ東京タワー

フジテレビ系。月九ドラマ「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」。第二話。
原作:リリー・フランキー『東京タワー 〜オカンとボクと、時々、オトン〜』(扶桑社刊)。脚本:大島里美。音楽:澤野弘之河野伸。主題歌:コブクロ「蕾」(ワーナーミュージック・ジャパン)。プロデューサー:中野利幸。制作:フジテレビドラマ制作センター。演出:久保田哲史。
二〇〇五年の流行歌に「地元じゃ負け知らず」という歌詞があったが、現実には地元でさえ勝っていなかった者が「負ける気がしない」ように思い込んで都会に出てきてしまう。それで不思議と勝ってしまう者もいるわけだし、領域によっては田舎よりも都会の方が多くの者を勝たせてしまう場合もあるわけだが(例えばゲイの世界では「捨てる神あれば拾う神あり」の言葉通り田舎でモテなかった者でも都会では特殊なモテ方をする場合がある)、美術大学という場では逆転を果たすのは並大抵ではない。劇中で鳴沢一(平岡祐太)が述べた通り、美術大学の受験生は大抵、美術専門の予備校で高度な訓練を受けていて、田舎の高校生でさえ高校の美術室で普段からデッサンに励み、夏休みには東京に出て予備校の夏期講習を受講する者もいる位で、要するに大学入学後に始まるはずの訓練を入学前から既に始めているのが普通なのだ。だから中山雅也(速水もこみち)のように「独学」だけで武蔵野美術大学に入ってしまうというのは、鳴沢一が驚いた通り、「却って凄い」ことではある。とはいえ「基礎が全くできていない」者が基礎を完全に身に付けた連中と競争しなければならないというのは確かに辛いはずだ。
そう考えるなら、「ボク」=「マー君」が美術大学で早くも挫折感を味わい、逃げてしまおうとした心情は充分に理解できるし共感できる。と云うか、このドラマを見ていると自分自身のことを色々思い出して恥ずかしくなってくるような悔しくなってくるような辛いものがあって、そのゆえに逆に面白いと思う。原作が話題になったのも、そう感じる人々が多いからだろうと想像する。
登場人物(出演者):中山雅也(速水もこみち)/佐々木まなみ(香椎由宇)。鳴沢一(平岡祐太)/山田耕平(柄本佑)/レオ・リー(チェン・ボーリン)/徳本寛人(高岡蒼甫)/中西靖子(久保田磨希)/渋谷謙太(北見敬之)。手塚修一郎(石黒賢[特別出演])。藤本香苗(浅田美代子[特別出演])/中山兆治(泉谷しげる)/中山栄子(倍賞美津子)。