斉藤さん第二話

日本テレビ系。水曜ドラマ「斉藤さん」
原作:小田ゆうあ『斉藤さん』(集英社)。脚本:土田英生。音楽:池頼広。主題歌:観月ありさ「ENGAGED」。制作協力:AX-ON。プロデューサー:西憲彦&渡邉浩仁/佐藤毅(東宝)。企画:東宝。第二話。演出:岩本仁志
阿久津高校に通う市議会議員令息の不良、柳川正義(山田親太朗)の悪行に対し果敢に抗議をした斉藤全子(観月ありさ)に対し、有閑主婦連を率いる三上りつ子(高島礼子)は痛烈に陰湿に非難をした。ヒーロー気取りか知らないが、余計なことをするな!と。不良高校生たちが幼稚園児たちをどんなに脅かそうとも、それに抗議をして攻撃を仕掛ければ必ずや何倍もの非道い報復を受けて却って苦しまされることになるだろうと云うのだ。換言すれば、たとえどんなに嫌な目に遭わされようとも、黙って見過ごしていれば報復を受けることはないのだから、見て見ぬ振りをしておけ!ということだ。なるほど、確かに抗議をすれば報復を受けるには相違ない。だが、見て見ぬ振りをしておけば報復を受けないというのは本当だろうか。確かに報復こそないかもしれないが、嫌がらせが終わるわけでもないのだ。むしろ見て見ぬ振りをするからこそ幼稚園児たちを脅かす悪質な嫌がらせが終わりなく続いているのではないのか。
斉藤全子に対する三上りつ子の非難の意は、当世流行の語に云う「空気読め!」ということだろう。この「空気読め」という語を流行らせたのは宮藤官九郎の「木更津キャッツアイ」ではなかったろうか(否、違ったろうか?)。しかし一度ドラマ外で使用されるや、誠に厄介な語ではある。単に語の問題ではなく、生の姿勢、人生観の問題でさえある。例えば小中学校の学級内でイジメが行われた場合も「空気を読んで」見て見ぬ振りをするのが素晴らしいことだとでも云うのだろうか。そう考えると実は「空気読めない」人間こそ稀ではないのかとも思えてくる。大人たちは皆「空気読んで」生きている。
とはいえ「空気」というのはどの「空気」であるのか?ということも考える必要がある。幼稚園児たちの父兄集団に隠然たる影響力を有する有閑主婦連の態度のことか?それとも幼稚園児たちの抱く思いのことか?ここで想起されるのは、先週の第一話において斉藤全子が真野若葉(ミムラ)に対して忠告していたことだ。己の保身よりも吾が子の保護を考えよ!と。有閑主婦連に上手く気に入られて交際の輪に入ってゆくことにばかり夢中になる余り、吾が子が他の子どもたちの輪に上手く馴染めていないことを見落としてしまっては話にもならないと。そうなのだ。「斉藤さん」こと斉藤全子は、不良高校生の集団に幼稚園児たち皆が怯えているからこそ、恐らくは自身も内心は怯えていたにもかかわらず敢えて立ち上がった。子どもたちの「空気」を読んだのだ。子どもたち皆が斉藤全子の抗議に唱和し、真野若葉の子の真野尊(平野心暖)に至っては「斉藤さんゴッコ」まで始める程「斉藤さん」の勇気に完全に魅了され、夢中になっていたのが味わい深い。
他方、三上りつ子率いる有閑主婦連は幼稚園児たちを恐怖の中に留めようとした。市会議員をも含めた近所付き合いの世界のみを見てその「空気」のみを読んだのだ。このことの教育的な影響をも考えなければならない。恐怖の中で不正を容認する大人たちを見て育った子どもたちが将来、不正と正の区別も付けられなくなるだろうことは見易い。なぜなら暴力に圧倒されたときは不正をも容認せざるを得ないということは、逆に云えば、暴力で他者を圧倒すれば不正も許されるということに他ならないからだ。そうなれば正も不正もないではないか。柳川正義のような愚かな少年たちを生んだのは三上りつ子や山本みゆき(濱田マリ)のような人々なのかもしれない。