エジソンの母第四話

TBS系。金曜ドラマエジソンの母」。
原案:山口雅俊。脚本:大森美香。音楽:遠藤浩二。製作:ドリマックス・テレビジョン&TBS。第四話。演出:平野俊一
花房賢人(清水優哉)の、本を読んだり物作りをしたり何かしら知的な作業に没頭しているときの眼の輝きは第一話において既に印象深かったが、今週の第四話では今まで以上にそれが魅力的に描かれた。工事現場で空き地を公園に変貌させる人々や、鉛筆工場で様々な素材から見慣れた鉛筆を生み出す機械と人々に対する彼の尊敬の眼差しは素晴らしかった。
これまでにも色々な形で発揮されてきていた彼の驚くべき学習能力の秘密も少し明かされた。彼は、眼にしたもの、耳にしたものを正確に感受し、理解した上で、自ら表現し直す能力を有していたのだ。だから工事現場で働くイタリア人と親しくなれば、彼の時々語るイタリア語の挨拶等の語をそのまま正確に記憶して言い返してみせることができる。それを暫く続ければ、やがては簡単なイタリア語の会話もできるようになってしまう。それこそ興味を抱きさえすれば法学上の概念だって余裕で理解できてしまうのだ。
そして彼には、現実に対する強烈な関心がある。小学校における算数の試験で、蜜柑15円、林檎20円を買物カゴに入れたら支払うべき代金は何円になるか?を問われて、蜜柑と林檎を一緒のカゴにいれてはダメであると母から教わったと答え、さらに「ねだんもちがいます」と付け加えて「リンゴ90えん、みかん35えん」と正解を記してしまっていたのは、算数の約束事から完全に逸脱した云わばルール違反ではあるが、八百屋の家の子らしい現実への関心を物語ってはいるのだ。
花房賢人のこうしたルールからの逸脱を嫌う加賀見祐子(松下由樹)は職員室において「学校は建前を教える場所とも云われる」と述べた。確かにその通りだ。学校、ことに国公立の初等中等学校というのは、国家のルールの基本を子どもたちに教えるための場所に他ならないからだ。とはいえ加賀見教諭の「天才」嫌いにはどうやら私的な事情があったらしい。この何事にも常に厳正な教員の不覚にも呟いた「天才」嫌いの言を久保裕樹(細田よしひこ)が聞き逃さなかったのは、同時にこの新人教師の社会性をも表現している。学校教員は子どもたちの可能性を伸ばさなければならないはずだと考えている新人教師にとって加賀見のあの言は違和感を惹起するが、他の職員室慣れした教員たちにとっては、世話の焼ける子よりも型に嵌った子の方が、国家のルールに照らしても好都合である以上、確かに「天才」なんて迷惑なだけなのだ。閉鎖社会としての職員室に染まるか否かの差がここにある。
花房賢人の奇想天外な知性と活力に魅了され、愛されたいとさえ思っている青柳玲実(村中暖奈)は、賢人の「玲実よりも工事現場のオジサンの方が好き」という言葉に落ち込み、帰宅して自室で寝込んで、そして、常々玲実に対して有閑階級の素晴らしさを説いてきた母=青柳美月(杉田かおる)相手に泣きながら反発し「働いて、工事現場のオジサンになりたい」と云い出した。笑える展開ではあるが、「工事現場のオジサンと同じように働かなければならない」という意味に解するなら全く違和感を生じないだろう。
かつて日本テレビ土曜ドラマ女王の教室」では、「悪魔のような鬼教師」の阿久津真矢が子どもたちに対し、現実の厳しさ、不条理の充満を説き、それに立ち向かうためには勉強しておかなければならないことを説いた。だが、実際に小学校の教室において、小学生の水準を遥かに超えた好奇心と知力を備えた子どもが現れ、驚異の学習能力によって現実の厳しさ、不条理の充満を自力で見抜いて、教師の前で疑問を呈するに至った場合、教師は一体どのように対応すればよいのか?今週の第四話に限って云えば、そのような視点から解釈することもできるかもしれない。鮎川規子(伊東美咲)は云わば「悪魔のような鬼」児童に翻弄され、死闘を繰り広げているわけなのだ。