おせん第七話

日本テレビ系。ドラマ「おせん」。
原作:きくち正太。脚本:高橋麻紀。音楽:菅野祐悟。協力プロデューサー:山口雅俊(ヒント)。プロデューサー:櫨山裕子三上絵里子/内山雅博(オフィスクレッシェンド)。制作協力:オフィスクレッシェンド。演出:南雲聖一。第七話。
老舗の料亭「壱升庵」の板場で働く若手の職人、竹田留吉(向井理)が、あらためて料理人としてのあるべき姿勢を見詰め直し取り戻すの話。これまでは模範的な職人と見えていた青年の、内心の焦り、悩みをよく描いていた。同時に、このドラマにおける江崎ヨシ夫(内博貴)の役割がよく見えてきたようにも思う。
このドラマにおいて江崎ヨシ夫の出番は極めて多い。ことによると主人公の半田仙(蒼井優)よりも多いかもしれない。まるで主人公のようだ。しかし彼は主人公ではない。なぜならこの物語は彼の物語ではないからだ。思うに彼の役割は、都会の中の別世界のような料亭「壱升庵」に、まるで異分子のように入り込み、その秩序と調和の中に波風を立てることで却ってその秩序と調和の揺るぎなさを明らかにすることにありはしないだろうか。或いは、半田仙をはじめとする「壱升庵」の人々の生を、明確化する役割を担っているとは云えないだろうか。
そう考えると、このドラマの前半において江崎ヨシ夫が鬱陶しい人物と見えていた理由も、見えてくるかもしれない。制作者の意図を少々大胆に推測するに、「壱升庵」にとっての異分子としての彼を、視聴者から見ても思い切り鬱陶しく見える姿に描くことで、逆に、多くの視聴者にとっては本来かなり縁遠いはずの「壱升庵」の世界を、視聴者にとって親しみ易く見せ得るという考えがありはしなかったろうか?と思うのだ。視聴者の多くは恐らく老舗の料亭に行く機会なんかないだろう(少なくとも吾はそうだ)。でも、彼との対比においてその世界は心地よく、親しみ易く見えてくる。
そうして一度その世界観が定着するや、今度はその世界内をよく照らし出してゆかなければならない。そこで江崎ヨシ夫は今度は、世界内に確り馴染んだ上で、同時に、半田仙と一緒になって小さな旧風革新の波風を静かに立て始める。新風によって他の人々を動かしてゆく必要があるからだ。彼は輝くよりも輝かせる。そのような役割は一般にピエロとでも呼ばれよう。特に今宵の話に関して云えば彼はピエロであってヒーローではなく、ヒーローは苦悩の青年、竹田留吉だったのだ。