Q.E.D.証明終了第二話

NHK総合ドラマ8Q.E.D.証明終了」。第二話。
原作:加藤元浩。脚本:藤本有紀。音楽:海田庄吾。演出:伊勢田雅也。
四十五分間の番組だが、二時間ドラマにもなり得る程の内容があると感じさせた今宵の第二話。「数学的思考」が何の役割も果たさなかったのは前回と変わらないが、それでも、話としては面白かったと思う。
殺人事件の真犯人が事件の時点で既に死者であり、この世に生者としては存在していなかったということは、逆に云えば、死者が生前に計画したことが死後に計画通りに遂行されたということであり、云わば生者たちの意図を超えた意図がこの世の生者たちを動かしていたということに他ならない。そのことの恐ろしさに思いを馳せるとき、ドラマの味わいも深くなるだろう。
ただでさえ謎に満ちていたはずの事件をさらに複雑化したのは、第一発見者を名乗る者が三人いて、三人とも己のみが唯一の第一発見者であると称していて、しかも三人とも各々異なる内容の証言、各々自身を容疑者の立場に陥れかねない内容の証言を敢えて発していたことにある。三人が各々事実を隠蔽するような証言をして、しかも証言に一致する「事実」をも作り出して警察の捜査を混乱させたのは、それぞれ誰かを庇うための行為だったが、中でもドラマを深くしたのは、唯一誰を庇いたいのか明らかではなかった人形館管理人の安岡章(真実一路)の本当に庇いたかった相手が、事件の直前に病のため逝去していた無形文化財級の人形作家、真犯人の七沢克美(江波杏子)だったことにある。
もっとも、謎に満ちた事件の真相を見事に解き明かした燈馬想(中村蒼)の今回の推理は自然科学における必然性の論理の領域を超えて、人間の心理の領域、それも「親の愛」にまで及んでいて、たとえ天才少年とはいえ少年の推理としては少々でき過ぎているのかもしれない。古代ギリシアの哲学者アリストテレースが云うように少年にとって自然の学は解し易く倫理と政治の学は近付き難い面があるとすれば、天才少年が「数学的思考」を駆使することの妙味はそこから来るように思われる。