仮面ライダーディケイド第十九話

東映仮面ライダーディケイド」。
第十九話「終わる旅」。脚本:米村正二。監督:柴崎貴行。
平成「仮面ライダー」十周年を寿ぐ番組の物語の前半の、過去の九つの仮面ライダー世界を巡る旅人たちの物語の掉尾を飾るに誠に相応しい晴れやかな話だったと評したい。もちろん光は常に影を伴う。この話の晴れやかさは、深い闇を克服したときに出現したのだ。そのゆえの陰影の豊かさにおいても実に、英雄の旅の一つの終わりを告げるには相応しかった。
華やかさを可能にしたのは「仮面ライダー響鬼」という物語における「音撃」という要素であり、かつての「響鬼」物語ではそれはミュージカルという形式にさえ結び付いたが、今回「仮面ライダーディケイド」における「響鬼」世界の物語ではそれは音撃道の戦士たちの協奏という熱い場面へ見事に結実した。かつての「響鬼」物語において物足りなかったのは戦士たちによる音撃の共演に他ならないとすれば、今朝のあの競演こそは最も待ち望まれていた一場であると云える。
他方、深い影を落としたのは、「鬼であるためには鬼であってはならない」というテーゼとともに、鬼として戦う「道」の継承という要素だが、実のところこの要素こそは「仮面ライダー響鬼」という物語世界を他の仮面ライダー世界から分け隔てる得意な点であり、むしろこの物語の主題はそこにこそあると云うも過言ではない。
大昔から吉野山を拠点にして続けられてきた音撃の戦士=「鬼」たちの活動は、多くの人々の支援を得ながらも結局は、鬼の力を借りて戦おうとする戦士たちの日々の鍛錬とともに、それを受け継ごうとする若者たちをも鍛錬して正しく教え導き伝授しようとする努力によって成り立っていた。それは要するに「道」を拓き「道」を守るということだが、それは決して容易ではない。師から弟子へ「道」を正しく内実豊かに伝えるためには、師は弟子の前に立ちはだからなければならないだろうし、弟子は師に立ち向かい、師を超えてゆこうとしなければならないだろうからだ。
だが、二〇〇五年度の「響鬼」物語を顧みるなら、その設定の一番の前提とも云える「師承」のドラマにおいて事実上の主人公を務めるに相違ないと期待されていた「少年」明日夢栩原楽人)が何時しか、師とすべきヒビキ(細川茂樹)の単なる観察者と化してしまい、この重要な主題それ自体が見失われつつあった中で、代わりにその役割を果たすべく後半の物語に登場したのが桐矢京介(中村優一)だった。彼は、行動に出ない明日夢の「つまらなさ」を批判しつつ、自らは、自身の亡き父の面影をヒビキに見出し、否、むしろ恐らくはヒビキを父と思い、追跡し、立ち向かい、乗り越えてゆこうとする中で響鬼=ヒビキの真の後継者であろうとした。そして彼は「道」を継承した。
今朝の「仮面ライダーディケイド」物語における「響鬼」世界では、この「道」の継承をめぐるドラマを、意外な程に、極めて直接的な行為を通して描き上げた。ヒビキ(デビット伊東)は「鬼であるためには鬼であってはならない」ということの難しさを、自ら「牛鬼」という鬼そのものと化して、身を以って伝えることで唯一の愛弟子である「少年」=アスム(小清水一揮)の前に立ちはだかり、アスムは、尊敬する師の心身を支配した鬼=「牛鬼」を自ら打倒することで文字通り師を乗り越えたのだ。鬼の力を借りて鬼に対して戦うはずが鬼の力を制御できなくなって遂には鬼そのものと化した師を、自らの手で殺害することによって「少年」は師の「魂」を継承したのだ。戦慄をも惹起しないではいない展開ではあるが、実に簡潔にも的確な仕方で物語世界に潜んでいた深い闇を抉り出してみせている。見事な筆力と云わざるを得ない。
今回の「少年」アスムは、かつての明日夢と桐矢京介を兼ねた人物だったと云えるかもしれないが、特筆すべきは、悩めるアスムを力強く導いた青年、海東大樹(戸谷公人)が、半ばヒビキのような役割を担ったと同時に、実は桐矢京介のような役割をも担ったと云えるのではないか?という点だ。なぜならかつての「響鬼」物語において、何時も考えてばかりで行動に出ることのない明日夢を、考える前に先ずは行動すべく促したのは桐矢京介だったと云えるからだ。
思うに、仮面ライダークウガ=小野寺ユウスケ(村井良大)にとっては「仮面ライダーアギト」の世界があたかも第二の故郷のように特別に身近に感じられる世界であり、仮面ライダーディケイド=門矢士(井上正大)にとっては恐らくは「仮面ライダーカブト」の世界が特別だったろうと見受けるとすれば、仮面ライダーディエンド=海東大樹にとっては「仮面ライダー響鬼」の世界が特別な世界だったのではないだろうか。
実際、彼は何時になく感情を露わにして「意地」さえも見せた。一番の露頭は、彼が「ショウネン君」アスムに奮起を促した場面での、門矢士との遣り取りにある。師を倒すべきか否か未だ悩みを脱し切れてはいなかった「ショウネン君」に、海東が「受け継ぐのは鬼の力だけじゃない。ヒビキって人の魂を受け継ぐことなんだ!」と激励したとき、牛鬼相手に苦戦を強いられていた門矢士は「海東!俺の台詞、奪ったな!」と文句を云ったが、これに対して海東は、普段であれば維持しているはずのあの不敵で冷静な表情と口調を破り、意地になったような顔と声で「云っておくけど、僕は君よりもずっと前から『通りすがりの仮面ライダー』だ!憶えておけ!」と云い返したのだ。
アスムが牛鬼=ヒビキを倒してヒビキの魂を継承したあと、預言者の鳴滝(奥田達士)が巨大な蟹の魔化魍を連れて出現し、ディケイドを倒そうとしたのに対してディケイドもアスムも、アキラ(秋山奈々)もトドロキ(川口真五)も、イブキ(渋江譲二)もザンキ松田賢二)も、そしてディエンドも皆一緒になって音撃で立ち向かい、ここに、かの華やかに晴れやかな音撃の協奏の場が実現したわけだが、私的に興味深かったのは、蟹の魔化魍を差し向けたときの鳴滝の「おのれ!ディケイド!この化け蟹で始末してくれる!」という捨て台詞。一昔前の悪役みたいな台詞なのが面白い。