アイシテル-海容第八話

日本テレビ系。ドラマ「アイシテル 海容」。第八話。
原作:伊藤実。脚本:吉本昌弘。演出:吉野洋
事件の概要は明らかになった。法的な手続においてはそれで充分なのだろうが、物語としてはそれだけでは足りない感もないでもない。しかし、人が何か異常な事件を惹き起こしたとき、その原因が単一であるとは限らないし、今回の(劇中の)殺人事件について云えば、犯人の少年を突き動かしていたのは多分、相互には必ずしも関係のない複数の要因の複雑な連関から成る心的な構造体のようなものであると思しいが、このドラマがそれを描こうとしているとは見えない。ドラマ制作者の関心事は、加害者の母と被害者の母それぞれの思いとその出会いにこそあると見受けるからだ。
気になるのは、加害者、野口智也(嘉数一星)の「殺意」のことだ。第一回目の審判の冒頭、裁判官は「殺意を以て殺害したか?」を彼に対して問い、彼はそのときは同意したが、同じ日の審判の最後に読み上げられた彼の「日誌」の記述によれば、彼は小沢清貴(佐藤詩音)の暴言に対する怒りの余り我を忘れてその身体を攻撃し、気付いたときには既に相手が死んでいたことを知ったわけで、これを「殺意を以て殺害した」と云えるのかどうか。ともかくも智也は、清貴を殺害した瞬間、冷静な判断力を完全に欠いていたと云うべきであり、余りにも大きな激情に衝き動かされてしまっていたとでも云うしかない。この激情の噴出の核にこそ彼の心の闇があるのは見易いが、闇を見ることはできそうもない。その周辺に、母=さつき(稲森いずみ)との擦れ違い、父=和彦(山本太郎)の無関心、それでもなお信じたい両親の愛…等の感情があるのだろうし、またそうした感情をかき乱した要因の一つとして、あの河原の公園の橋の下の路上生活の老女の事件も作用したのだろうが、真の問題は、そうした諸感情や諸要因を一つに結び付けて激情の噴出を出来した心的な機構の核にある闇の正体であり、しかるに恐らくはそれは闇のままであるほかなさそうだ。
智也は十歳ではあるが、十年間の生の間にどのような出来事があってそれを彼がどのように受け止めてきたのか、その全てを知り尽くすことはできないからだろうか。
なにしろ似たことを清貴について指摘することができるのだ。彼の冷酷な性格、言動を彼の姉の美帆子(川島海荷)は知っていたが、母の聖子(板谷由夏)も父の秀昭(佐野史郎)も知らない。両名とも清貴を、誰からも愛される天使のような良い子としか思っていない。誰からも愛されているはずの「きよたん」が実は意外に暴君だったことは、両親には信じ難いことであり、云わば闇の部分なのだ。いくら溺愛されて甘やかされて育ったとしても、そのゆえに己一人が愛されるに値する人間であるとまで確信するものではないだろう。そこまで暴走させた何かがあったのかもしれないが、それが何であるかは解明しようもないに違いない。
家庭裁判所調査官の富田葉子(田中美佐子)が帰宅後、吾が子を抱き締めたとき、胸中には微かに、どんな子の心にも潜んでいるかもしれない闇の底知れなさへの思いがありはしなかったろうか。