The Perfectible Body和訳十五

本日の「The Perfectible Body」和訳(十五)。「紀元前五世紀のアテーナイ人の、それまでの時代とは異なる主な特徴を一つ挙げるとすれば、それは、既婚男子が、妻や家族を見て喜びを感じるのとは別に、若い男子の鍛え上げられた優美な肉体に対しても視覚的な快(そして実のところはもっと性的な出会いの快をも)抱き得るということを受け容れる点にある」(p.36)。
序でに、折角なので本文中に引用されているジョン・ボードマンの論述「ギリシアの美術と建築」中の数行をも和訳しておく。「古典ギリシアにおいて運動選手は全裸で体を鍛え、戦士は全裸に近い恰好で戦い得ていたし、日常生活において若い男子が肌を露わにすることは極めて普通の光景だったに違いない。芸術家たちは理想的な運動選手の姿をした裸のモデルを探し求める必要もなかった。なぜなら彼等がいた社会は、男子が裸でいることが当たり前であるような、そして美しく鍛えられた肉体が賞賛されるような社会だったからだ。外国からギリシアに来た人々はそうした風習を不快に感じていたし、外国の芸術家たちがヌードの身体像を描くのは、主に宗教的な主題やエロティクな主題、受難的な主題を強調するためだった。(…)古典ギリシアにおいては、ヌードであることは日常的に不自然ではなかったし、芸術においては何も弁明も釈明も要しなかった」(p.36)。