傍聴マニア09第九話

日本テレビ系。ドラマ「傍聴マニア09」。第九話。
原作:松橋犬輔北尾トロ。脚本:田村孝裕。演出:仁木啓介。
裁判を傍聴することは、他人の不幸を見て面白がるに似ている。元来が生真面目な男子である北森夫(向井理)は、そのことを考えて少々自己嫌悪の状態に陥った。否、嫌悪というよりは自己の道を見失っているとでも云うべきだろうか。この苦悩に起因する苛立ちから、彼は傍聴仲間の山野鳥夫(六角精児)のみか、検察を志望する織田美和(南明奈)にまでも八つ当たりをしてしまい、ついには傍聴仲間を離脱するに至った。
こうして法廷の傍聴席に通う生活を辞めた彼が、今度は裁判員として法廷に臨み、そこで何を見て何を考えるのかは、次週の最終回を見なければならない。
それにしても、「おまえは何のために傍聴しているのか?」という問いは確かに難しい。もちろん「見れば楽しめるから見ているのだ!それだけだ!それの何が悪い?」と言い返すことはできるし、多分そのように答えることは正解ではあるだろう。「他人の不幸を見るのは楽しい」という命題は(残念ながら)偽ではないと云わざるを得ないだろう。だが、山野も云っていたように、他人の不幸は、それを見て楽しんでいる側にも何かしら撥ね返ってくるものでもあるに相違ない。
人間の知の領域を古典古代の知の巨匠アリストテレースは制作(技術)と実践(倫理)と観想(哲学)の三つに区分してみせたが、それに倣えば、恐らく裁判所において他人の不幸を傍聴する者は、人間の行為をめぐり観想することができるし、この観想は、法的な正と不正の問題だけに留まらず、むしろそれを超えた善悪の問題という実践の領域に及ばないわけにはゆかないとするなら、やがては己自身の生をめぐる省察にまで至らないわけにはゆかないのではないだろうか。
他人の不幸を見詰めることは、己の幸と不幸を見詰め直し、考え直すことであり得る。実際、心優しい北森夫青年の傍聴マニア生活は常にそのようなものであり続けてきたではないか。