咲くやこの花について補遺二点

先週の土曜日に放映されたNHK土曜時代劇咲くやこの花」第一話「めぐりあひて」について述べ忘れていたことあり、二点ここに附言する。
こいの母そめ(余貴美子)の名と、隣人の信助(佐野史郎)の名がそれぞれ百人一首における壬生忠見平兼盛それぞれの歌に因んだ名ではないかとの説を吾ここに提起していたわけだが、改めて公式サイト等を確認してみれば、そめの営んでいる漬物屋の名が「ただみ屋」、信助の鰻屋の名が「金森屋」であるから、既に解答は屋号において明かされていたのだ(ともあれ吾が説は正しかったことが証明されたとも云える)。
川辺の堤を歩いていた浪人の深堂由良(平岡祐太)がそこで遭遇した少年の名は「蝉丸」だった。凧揚げをして遊んでいた蝉丸少年がその凧を樹に引掛けて困っていたところ、通りがかりの深堂由良がその凧を樹から取り外し、返す前に少年に名を訊ね、蝉丸であると聴くや、その凧に蝉の図を巧みに描いて渡したのだ。蝉丸少年は喜んで礼を述べながら走り去り、深堂由良も歩き去った。相互に面識のない者が偶々出会い、一瞬の交流ののち再び他人として別れてゆくの図であり、まさしく、蝉丸の名歌「これやこの行も帰るも別れてはしるもしらぬも相坂の関」の意を表していると解し得よう。