雑誌記事集
何週間も前に(或いは何ヶ月も前に?)入手しておいたアイドル雑誌記事の切り抜き資料集をようやく開封。過去に入手した資料集との重複も少なからずあり、整理に際しては照合と総合にかなりの時間を要するので、今宵は整理には着手せず開封して一覧するのみ。
この資料集中にはB.I.Shadow初期の、まだ高畑岬と菊池風磨と中島健人の三人組だった時代の記事が幾つも含まれていて、それらは今までに収蔵した資料集には余り含まれていなかったので興味深く見た。
他方、今までに収蔵した記事と重複する記事でも、今あらためて見直して興味深く思われてくるものもある。どの雑誌の何年何月号の記事であるのか不明だが、中山優馬w/B.I.Shadowの五人で屋外で撮影した五六頁の記事で、その中で中島健人は関西ジャニーズJr.との交友について報告している。小瀧望とはディラン・マッケイの物真似を得意とする者同士で盛り上がり、関東のディランと関西のディランで会話を繰り広げたことや、重岡大毅とも仲良く、「いつかゆっくり大阪の街を案内してほしいな」と願望していることを述べてあるのだ。大阪の街を案内してもらった暁には重岡大毅自慢の「温泉」に連れて行ってもらえばよいと思う。
資料集を一覧して、特に興味深く思われたことの一つは、過去に、高畑岬と菊池風磨と高田翔と大川慶吾と増田良で五人組を構成していたかのように見える記事が複数あったこと。中島健人はいなかったのか。B.I.Shadowの結成の前だろうか。今月八日発売「ザテレビジョン」二〇一〇年三十五号における附録「ジャニーズJr.超プライベートFILE」では中島健人は菊池風磨等と「同期」と説明されているのだが、実際の始動には幾らか出遅れたのだろうか。そして彼が参入するに及んで五人組は解体され、三人組のB.I.Shadowが結成されたのだろうか。正確な事実関係を知らないので御存知の方には御教示を願いたい位だが、この記事資料群を見て思うに、彼の出現はアイドル候補生ジャニーズJr.内の人事に多大の変革を生じたかと見受けられて興味深い。