黄金の豚第九話=最終回
日本テレビ系。水曜ドラマ「黄金の豚-会計検査庁特別調査課」。第九話=最終回。
内閣総理大臣の樫永慎一郎(伊武雅刀)は自身の永年の不正が自身の起用した民間出身の会計検査庁検査官である久留米勲(宇津井健)によって暴かれようとするや、その全責任を秘書官の工藤優(岡田将生)に負わせた上で、自殺をさせて事態を有耶無耶の内に収束させようとした。とんでもない悪党だが、現実にもよくあることであるのかもしれない。だが、こんな樫永慎一郎をも遥かに凌ぐ悪党として久留米勲は描かれた。なぜなら彼は、樫永慎一郎に対し、もし己の不正を暴かれたくなければ政治の実権を明け渡せ!と要求したからだ。内閣総理大臣の座を譲れ!というのではない。なにしろ内閣総理大臣の座に就くためには選挙で当選して与党の代表にも選ばれなければならないが、久留米勲はそうした手続を全て省略して、現職の内閣総理大臣から直接に権力を譲り受けようとした。要するに彼は、自ら表舞台には出ないまま、政治を背後から操りたいと考えていたのだ。なるほど、これは民主政治の破壊に他ならない。
久留米勲の抱く危機感を、否定することはむしろ難しい。彼は天下のため、国家のため、正義を行おうとしていたに相違ない。衰退しつつある国家をよみがえらせるためには構造の改革が必要だ!という彼の志は、鬱陶しい話ではあるが、多分、正しいのかもしれぬとは思う。問題は、正義が悪事に基づいてもよいのかどうか?という点にある。この問題は古来よく知られたものだ。世界の真実を見抜いた智者=哲人王は、真理を見ずにその影しか見ない大衆を正しく導くために、「高貴なる嘘」をつかざるを得ないこともある…というのは古典古代のプラトーンが述べた著名な説であり、このことこそ、二〇世紀の科学哲学者カール・ポッパーが最も激越にプラトーンを批判し否定した論点だが、今日でも盛んに表面化する問題でもあり、これは民主政治においてはどうしても避けることのできない宿命的な問題であるのだろう。
ともあれ、久留米勲の手下に襲撃されて負傷して入院していた明珍郁夫(生瀬勝久)は無事に回復して元気になって、会計検査庁特別調査課長に昇進したし、検査官の茶々万史郎(近藤芳正)は最後に格好よいところを見せたし、金田鉄男(桐谷健太)は敬愛する角松一郎(大泉洋)と再び一緒に働くことができるようになり、堤芯子(篠原涼子)も釈放されて、よい結末だったと云えるだろう。