仮面ライダーウィザード第三十一話

平成「仮面ライダー」第十四作「仮面ライダーウィザード」。
第三十一話「涙」。
操真晴人(白石隼也)が新たな力を自力で獲得してウィザードを新たな姿で復活させた。レギオン内藤(村田充)が操真晴人の胸中の世界(「アンダーワールド」)でドラゴンを打倒したことによって消去されたかに見えていた魔法が、操真晴人の「心」の強さによって復活できたことの根本の原因は、消去されたかに見えても完全には消滅してはいなかった一点にある。そのことは内藤レギオンが「奴の心を壊し損ねた」と呟いていたことから明白だろう。
心の強さによって新たな力を獲得するのは仮面ライダーでは馴染みある展開ではあるが、心の強さをめぐる物語である限り、それは必然だろう。「仮面ライダーウィザード」に関して云えば、仮面ライダーとしての「魔法使い」は「最後の希望」を守り、取り戻すために戦い、対するファントムは人々を「絶望」に陥れようとしている。ゆえにファントムと魔法使いとの最後の戦場は希望を失った人の心の世界(「アンダーワールド」)で繰り広げられる。そもそも、魔法使いが魔法を獲得するのは、彼がファントムによって強いられた絶望を自身の心の強さによって克服し得たからに他ならない。
そうである以上、操真晴人の心の強さがウィザードの復活と強化を可能にしたのは必然でさえあるし、多分、操真晴人の心が破壊し尽くされなかったこと、ゆえにドラゴンが打倒し切られなかったことの原因も、操真晴人の心の強さにある。
操真晴人が公園で遭遇した健気な少年、健太(平岡拓真)は、病に苦しんでいる妹を喜ばせてくれた操真晴人の魔法に感激しつつも、魔法そのものよりは魔法で喜ばせてくれた「心」を嬉しく思っていると述べた。これは操真晴人に対する力強い激励になり得たが、それだけではなく視聴者に対しても、魔法の誕生と制御と強化の根本が心にこそあることの説明にもなり得ている。
そして健太が妹のために、得意でもない手品を一所懸命に習って、披露してみせていたのと同じように、操真晴人は、コヨミ(奥仲麻琴)に生きる力を与えるために、消滅したかに見えていた魔法を、泣きながら取り戻した。
とはいえ今回のウィザードの復活と強化は、必然だったとしても予想外だったに相違ない。なぜなら、この展開を観戦していた白い魔法使い(声:高階俊嗣)は「面倒なことになったな」と呟いたからだ。白い魔法使いは今までウィザードの行動を予測できて、その力を制御できていたのだろうが、今や、予測と制御を完全に外れ得る事態が生じたと見たのだろう。これが白い魔法使いに不都合を生じるのか、ウィザードに危険をもたらすのか、それとも両方であるのかは判らない。
他方、ファントム陣営にも変革があった。ワイズマン(声:古川登志夫)が、今までは第一の配下だったはずのメデューサ中山絵梨奈)に対し、今後はソラ(前山剛久)の作戦に従い、ソラの指揮下に行動することを命令したのだ。メデューサにとっては容易には受け容れがたい不可解の人事異動だろう。
ワイズマンがこのような不可解の人事異動を断行したのは、ソラの価値を認めたからだろう。ワイズマンの知る全てを知りたいと願望してワイズマンに反攻し、ワイズマンの作戦に数々の妨害を続けてきたソラは、どうして「賢者の石」を求め、全てを知ろうとしているのかをワイズマンに問われたとき「あなたと同じさ」と答え、「だって僕はグレムリンじゃなくて、ソラ…だから」と続けた。
グレムリンではなくてソラであるとは、ファントムではなくて人間の心の持主であるということだろうか。これを他で例えるなら、ウィザードの場合は、ドラゴンではなくて操真晴人であるということ、ビーストの場合は、キマイラではなくて仁藤攻介(永瀬匡)であるということだろうか。
正反対の例がフェニックス=ユウゴ(篤海)であるのは判りやすい。ユウゴは、街の花屋の店員の、花を愛して皆から愛されていた心優しい青年、藤田雄吾ではなく、どこまでもフェニックスでしかなかった。ユウゴに限らずファントムは皆、生前の名で呼ばれるのを嫌うが、ソラだけはグレムリンと呼ばれるのを嫌い、ソラと名乗り、ソラと呼ばせる。このことはソラが単なるファントムではないことを物語り得る。
ソラは、ファントムではないなら、魔法使いであるのか、魔法使いになる資格の持主ででもあるのか。そして、ソラから「あなたと同じさ」と云われたワイズマンは、魔法使いであるのか。やはりワイズマンは白い魔法使いではないのか。