十一月の聖人の教会

このところ、ハイドンの初期交響曲の傑作として親しまれている第六番「朝」&第七番「昼」&第八番「晩」をあらためて聴いている。ホグウッド指揮の古楽アカデミー、アルノンクール指揮のコンツェントゥス・ムジクス、マリナー指揮のアカデミーで聴き比べるに、それぞれに魅力はあるが、明るさと華やかさではマリナー卿の演奏が長じている。
ところで、マリナー卿が創設したアカデミーの正式名称は「The Academy of St Martin in the Fields」だが、ここにおける「St Martin」とは何者で、「in the Fields」とはどのような場所を云うのだろうか?ということを前々から気にはしていたものの、特に調べることもなく過ごしてきた。
今日、ようやくインターネット上に調べてみるに、英語版ウィキペディアによればSt Martin in the Fieldsはロンドンのウェストミンスター区のトラファルガー広場の北東の一角にある英国聖公会の教会で、トゥールの聖マルティヌスに捧げられている。
聖マルティヌスはローマ帝国の兵士だったときイエス・キリストに施しをしたことから洗礼を受けて修道士になった。聖者になった縁は戦場(field)にあったと云える。また、修道士として勤勉な生涯を貫いた聖マルティヌスは葡萄の栽培を創始したとも云われているそうで、農場(field)に生きた聖者だったとも云える。実際、トゥールの聖マルティヌスの日は、十一月十一日、収穫祭の日でもある。
しかるに、St Martin in the Fieldsにおける「Fields」は戦場でもなければ農場でもないらしい。なぜならウィキペディアによれば「Henry VIII rebuilt the church in 1542 to avoid plague victims from the area having to pass through his Palace of Whitehall. At this time, it was literally "in the fields", an isolated position between the cities of Westminster and London」ということであるから。教会に集まる疫病患者を王城から遠ざけるため、旧ロンドンと旧ウェストミンスターの間の、人里離れた寂しい場所に移設されて以降、「郊野の聖マルティヌス教会」と呼ばれるようになったということだろう。地図で見る限り、現在そこは大都市ロンドンの中心地で、とても郊外とは云えないが、それは大正期の東京において新宿が人里離れた郊外だったのを踏まえれば分かり易い。
ゆえに邦語名として俗に「アカデミー室内管弦楽団」と呼ばれるThe Academy of St Martin in the Fieldsの正しい訳語は、「郊野の聖マルティヌス教会アカデミー」ということになるに相違ない。