マッスルボーイズ

深夜には現代文化研究の書『MUSCLE BOYS』を漸く読み終えた。昨年の夏頃、相次ぐ出張における移動中の暇潰しに丁度よいと思って気軽に読み始め、快調に進んで一気に半分位までは読んでいたのに、秋以降、多忙の度を増してゆくに伴って全く捗らなくなり、もはや読み終えることはないのではないかとさえ思われていたが、今月に入って徐々に復調し、今宵、漸く読了した。想起するに、捗らなくなった時期は、違法薬物に関する議論が延々続く箇所を進んでいた時期に重なっていた。全く興味のない話題の連続である上に、次々連発される薬物の固有名詞の意味の解らなさに苛立たされていたことも停滞の原因だろう。
他方、主に前半までの、文化史概論の部分は興味深い話題の連続だった。米国文化における「男らしさ」の形が実はマッスル愛好のゲイ文化によって創り出されたものであり、カルヴァン・クラインやアバクロンビー&フィッチのデザインと広告の戦略等を通じてそれが米国現代文化を支配しているという論には驚いた。
ここで本書から離れて不図思うに、そのような影響がグローバル化して日本の近隣諸国にも普及しているように見受けられる中、日本にはその影響が殆ど及ばず、むしろ米国流マッチョとは丸で異質な細マッチョ概念までも生み出しているのは、極めて面白い文化現象であるに相違ない。本書に語られる「ジム」という語の意味が、日本において理解される「ジム」という語とは何か異質な概念であるようにも思われる点も、関連して重要な論点であるのかもしれない。