妖怪ウォッチの行方

昨日発表された妖怪ウォッチ新構想には二つの面があるのだろうか。ゲームにおける舞台を米国へ移すのは、もちろん米国市場への進出のためだろう。他方、新しい主人公を投入するのは、女子を今まで以上に取り込みたいからだろうか。しかし何れにしても危うい賭けであるような気がする。
ケータ&ウィスパー&ジバニャンを主人公とする従来の物語は月刊「コロコロコミック」にも連載されていて、男子を対象として設定されているのは確かだが、それが女子にも受け入れられたからこそ今の状況があるのではないのか。新しい第二の主人公として女子を投入しても、女子を取り込むどころか、むしろ男子に敬遠され始める恐れはないのだろうか。
米国市場を狙って物語の舞台を米国に変えるのも中途半端な策ではないだろうか。
日本のものを愛好する外国人は、日本のものを愛好しているのであって、海外向けに「改良」されたものを愛好するわけではない。それは明治期のジャポニズムで証明されている。当時、日本の美術は欧米で大いに愛好されたが、それを知って欧米の市場を狙って欧米向けに「改良」された新しい美術は、欧米では相手にされなかった。そのような明治期の失敗を、今さら繰り返すことになりはしないのだろうかと心配せざるを得ない。
もし米国市場へ向けて「改良」したいのであるなら、完全に米国のものに改変するしかないのかもしれないが、それはもはや別物でしかない。別物と化した妖怪ウォッチを米国で販売するのは結構だが、それを日本人にまで受け入れさせるのは無理がある。
ここで改めて考えるに、第二の主人公を投入するのも、米国市場を意識した結果でもあるのだろう。平凡な男子に対して非凡な女子を持ってくるのは、今日の「グローバル」な思考に適っている。だが、妖怪ウォッチの美質は全てが「ローカル」であるところにこそあったように思われる。