大全集ドラえもん第八巻

藤子・F・不二雄大全集ドラえもん」の第九巻は、名作「のび太結婚前夜」を収録していて評価も人気も高いに相違ないが、実は第八巻も傑作揃い。藤子・F・不二雄漫画の円熟した作風がここに確立したかと思われるに足る名作の数々がある。
いかにも「ドラえもん」らしい面白さに満ちた傑作の一つは「バイバイン」。「おれ大好きだから全部食っちゃうぞ」とか強そうなことを云っておきながら食べ残してしまうジャイアンの情けなさも笑えるが、何と云っても凄いのは、五分毎に倍増してゆく栗饅頭が一日後には地球を埋め尽くしてゆく勢いで増殖し続け、もはや誰にも止められなくなっている結末の恐ろしさ。恐ろしいのに笑えてしまう傑作。
物語の舞台がどんどん拡大し、日常を超えて壮大なスケール感を獲得しているのも第八巻の見所。「天井うらの宇宙戦争」では、のび太ドラえもんが、リリパット星のアーレ・オッカナ姫とアカンベーダー軍との間のスターウォーズにまで参戦している。のび太は射撃の天才だが、その才能はシューティングゲームでも発揮され、この宇宙戦争でも主要な戦力となった。結局、アカンベーダー軍による地球侵略の野望を打ち砕いたのはジャイアンの野球の才能だったわけだが、のび太ジャイアンそれぞれのこの戦闘力は、のちに大長編「のび太の宇宙開拓史」で真価を明らかにすることだろう。
同じく地球侵略の危機を描くのは「未知とのそうぐう機」。ここでは一切の戦闘を避け、日本の普通の美味な食事でハルカ星人ハルバルを接待し、機嫌を直してもらおうとしているところが面白い。
のび太が創造主になってしまう話が「のら犬「イチ」の国」。恐竜が繁栄する時代よりもさらに古い時代に、犬と猫たちの王国を作り、高度な文明を持たせた結果、のび太がその神様として祀られていた…という結末は、一応は笑い話にもなってはいるが、同時に、捨てられていた犬と猫たちのために居場所を作ろうとしたのび太に対して、いつまでも感謝の念を忘れず、千年後の子孫の代になっても忘れないようにしていた犬と猫たちの心の深さを表していて味わい深い。古生物への興味とSFへの関心が融和した一話。
高い志を持って生きてゆくことの素晴らしさを讃えるのは「自動質屋機」。誰にも評価してもらえていなかった貧しい画家の小品にあっさり百万円以上の高値を付けてみせた自動質屋機には、タイムマシンの機能が組み込まれていたのだろうか。
この巻で注目に値するのは、のび太の恋敵、出木杉太郎(のちの出木杉英才)の存在感が大きくなっていること。「のび太の地底国」では都市計画にまでも才覚を見せた。成績優秀、スポーツ万能で心優しく、静香とも何かと意気投合できる教養豊かな美少年の出現に、のび太が嫉妬と不安に苛まれるのは無理もない。
ところが、のび太が静香との関係に不安を抱き始めるのと比例するかのように、この時期、のび太に対する静香の愛は途轍もない深まりを見せ始めている。「ぼくをタスケロン」では、困っている人々のために自己を犠牲にし続けるのび太の苦しみの一部始終を目撃し、己自身のためには誰の助けも得られないで泣いていたのび太に、唯一人、救いの手を差し伸べた。「しずちゃんさようなら」では、出木杉の魅力を認めて敗北を感じ、出木杉に静香を委ねることこそ静香の将来の幸福につながると考えて敢えて静香に嫌われることを望んだのび太が、静香に嫌われようとして誰からも嫌われる状態と化し、皆から見放されて一人で苦しんでいたとき、静香だけが唯一人、のび太の介抱、快癒のため苦痛に耐えて尽力した。もはや菩薩のようでさえある。のび太藤子・F・不二雄は、静香に理想の女性、云わば慈母観音を見出したのだろう。「ドラえもん」作風の確立とは「しずちゃん」人格の確立でもあったのではないだろうか。
作品の枠を超え、他の作品と繋がり、物語の世界を拡げてゆく話が第八巻には収録されている。「めだちライトで人気者」では、人気アイドル星野スミレとパーマン一号のミツ夫との悲恋を描く。この恋は大全集「ドラえもん」第七巻所収の「影とりプロジェクター」(小学館『小学六年生』昭和五十五年一月号)で既に示唆されていたが、この話(小学館『小学六年生』昭和五十五年四月号)で明確化した。二つの話は、同じ年の同じ雑誌に掲載されたわけだが、年こそ同じでも年度が違うので、読んだ人々の学年が別々になってしまったところも興味深い。
他方、「オンボロ旅館をたて直せ」には、「21エモン」の主人公、21エモンの曽祖父と祖父が登場している。19エモンと18エモンの関係は21エモンと父20エモンの関係と同じで、これは家風だったらしいと判る。旅館の雰囲気は二十世紀でも二十一世紀でも変わりがなく、「21エモン」を愛読した者にとっては懐かしく楽しい話。