旅行記/徳島県立近代美術館フィギュア展
休日。今日は家に籠って古雑誌スキャニング作業に没頭しようかとも思ったが、思い立って九時半頃に外出。JR松山駅へ行き、十時二十一分発の特急列車で出立。車中、家から持参してきたパンで昼食。高松駅で乗り換えて、徳島駅に着いたのは昼二時十五分。タクシーで文化の森へ。
徳島県立近代美術館で明日まで開催されている開館二十五周年記念特別企画展「フィギュア展-ヒトガタ、人形、海洋堂」と開館二十五周年記念「人間表現を楽しむ25のとびら展」を鑑賞。
フィギュア展は二部で構成されていた。第一部では縄文時代から昭和初期までの様々な人形、ヒトガタを展示。第二部では海洋堂の様々なフィギュアを展示。質量ともに充実していて実に見応えがあった。
しかも考えさせられた。なぜなら、海洋堂のフィギュアに対して特別に関心を抱いているわけではなくとも、今日、イメージ学の視座をも踏まえながら彫刻や人間表現について考えるとき、フィギュアをどう見るかという視点は欠かせないから。
その意味で面白かったことの一つは、村上某のフィギュア風の作品をさらにフィギュア化した小さな商品がさり気なく並んでいたこと。なかなかの批評精神をここに読み取ることも不可能ではない。あの所謂おたくアートを支持する人の一人が、あれをミケランジェロの彫刻にも比肩し得る「彫刻」であるとまで主張していたのを読んだことがあるが、思うに、そもそもあの作品の評価の前提は、近代の「美術」の制度の延長上の、彫刻とフィギュアとの間の云わば華夷秩序に他ならない。彫刻や美術の側からフィギュアを差別した上で、そのフィギュア風の表現をそっくりそのまま彫刻に取り込んでみせたことで、近代以降の彫刻や美術の秩序を揺るがす問題提起に見せかけたのだろう。しかるに、このような二重の威嚇も、彫刻とフィギュアとの間の主従関係なんか信じていない人々には何の意味もなく、何の問題提起にもならない。そうなると、表現そのものの質が率直に問われてくる。あの作品が、一方では美術界に賛否両論を惹起しつつ、他方でオタク界では散々酷評されている様子であるのはそのような事情を反映していよう。
遠く古代にまで遡るなら、彫刻の歴史は鎮魂や信仰の対象としての不可視の何者かの「代役」の制作(否、むしろ儀礼を伴う制定)に始まると云えるが、そのような機能や意味は、近代以降の美術としての「彫刻」よりはむしろ現代のフィギュアにこそ求められるとさえ云えるのかもしれない。
第二部の展示については撮影が許可されていたので、唯一、アニメ「Fate/Zero」のフィギュア群だけ撮影しておいた。それにしても、今日の館内は賑わっていた。徳島県立近代美術館は常に魅力ある展示をしているにもかかわらず殆ど常に閑散としていて、ゆえに価値あるものをじっくり静かに味わうことができるのがここの魅力の一つでもあるが、今回は流石に大入で、これもこれで喜ばしいことだった。開館二十五周年記念の企画としては大成功だろう。
夕方四時二十分頃に美術館を出て、バス乗場へ行ってみれば四時台にバスの発着はなく、五時二十分頃のバスが最終便。それを待っていると遅くなりそうに思われたので、館内に戻り、受付の方にタクシーの電話番号を教えてもらい、最寄のタクシーを呼んだ。JR徳島駅のバス乗場で確認したところ、幸い、松山行の高速バスは五時三十分発。土産物店で徳島限定の阿波踊ジバニャン(これもまたフィギュア)や「ししゃもねこ」(これは小型ヌイグルミ)を購入。パン店で鶏唐揚とクリームパンを購入して乗車。道中、夜七時前には吉野川サーヴィスエリアで数分間の休憩時間が設けられたので、そこの土産物店に寄ってみたところ、ジバニャン関係はメダルもフィギュアも既に持っているものばかりのようだったので、全く読んだこともない漫画「黒子のバスケ」の徳島限定ストラップ(これもまたフィギュア)二種を何となく購入。八時四十分頃に松山の大街道で降車。市内電車で道後まで戻り、大型食料品店に寄って帰宅。明日の朝食を準備しておいた。