旅行記三/高松市美術館の林明子展/名作絵本こんとあき/香川県立ミュージアム/高松城玉藻公園

旅行記三。
朝八時頃にホテルの食堂に行き、ウドンで朝食。窓の外を見れば昨夜から降り出した雨は小降にはなったようだったと思っていたら、十時、ホテルを引き払うときには幸いにも止んでいた。荷物を転がしながら高松駅へ行こうかとも思ったが、商店街の混雑の中を荷物を転がしながら延々歩くのも大変であると思い直し、瓦町駅へ行き、琴電高松築港駅へ。十時三十五分には高松駅へ到着。駅の手荷物一時預かり所へ大きな荷物だけ預け、商店街の方面へ戻り、十一時二十分、高松市美術館へ。
高松市美術館では今月二十八日までの間「絵本のひきだし 林明子原画展」を開催している。生憎、林明子という人を知らず、絵本そのものに詳しくもないので、全く興味なく期待していないまま観始めたが、観始めるや、あまりにも面白く、大いに惹き込まれた。冒頭にある初期の挿絵の作風は一見して真鍋博を想起させるが、なるほど、もともと真鍋博のアトリエの一員として画業を始めたらしい。真鍋博のアトリエで働いていたときの作品は本人の名義で発表されたわけでもないのだろうし、もちろん本人の画風も充分には表してはいない。しかるに最初の絵本「かみひこうき」では既に林明子の人物表現を発揮。
代表作「はじめてのおつかい」では、場面毎に視点を変えながら大胆な構図を試み、住宅街の日常に潜んでいる恐ろしさ、子どもたちの不安を強烈に描いている。多くの大人たちは無神経で恐ろしく映る中、商店の女将の優しさには安心する。とはいえ、その女将も最初は怖い大人の一人であり、主人公の存在に気付かされてから優しさを見せ始めたのであるから、多分、他の大人たちも主人公の存在に気付いていなかったのだろう。でも、だからこそ怖いとも云える。
珍しく大人を主人公にした作品「きょうはなんのひ?」も、場面毎に視点を変え、構図を変えて変化に富んだドラマを作り出している。一軒の家の中の出来事、しかも過半の場面において一人しか登場しないにもかかわらず大変な冒険旅行であるかのような印象を生んでいる。
どの作品も魅力に満ちているが、最も忘れ難い魅力を湛えるのは「こんとあき」だろう。主人公「あき」が生まれる直前の、ヌイグルミ「こん」の寂しげな様子と、生まれたあとの、嬉しそうな様子の対比。ここから既に壮大な冒険旅行が予知される。「あき」がどんどん大きくなり、「こん」がどんどん傷んでゆく過程は一場面に詰め込まれているが、この一場面への凝縮によって、一緒に過ごした歳月の長さと愛情の深さが確り描かれている。弁当二個を買いに行った「こん」がなかなか戻ってこない間の「あき」の不安は、駅の弁当売場で順番を待つ人々の行列の長さ、最後尾にいる「こん」から売場までの距離の長さ、そして車窓から見守る「あき」から売場までの距離の長さが横長の大画面に描かれていることによって、簡潔に、しかも印象深く表されている。
この絵本における最も印象深い場面は、特急列車の戸に尾を挟まれ、弁当二個を抱えたまま寂しそうに佇んでいた「こん」を「あき」が発見した場面ではなかろうか。涙がこぼれた。しかし物語は終わらない。広々とした砂丘は、その空間の雄大な広がり自体が既にドラマティクではあるが、そこで生じた事件は、「こん」が「あき」を守ろうとして連れ去られる局面と、「あき」が必死になって探し出して救出する局面の対比を蔵している。子どもの成長を表しているとも云えるが、愛情は一方通行ではあり得ないという真理を表しているとも云える。
林明子の絵本には幼い女子を描いたものが多く、男子を描いたものは少ないが、「おいていかないで」には主人公の兄が登場する。しなやかな身体が美しく描かれる。そして幼い男子を描いた傑作が「おふろだいすき」。実のところ、今回の展覧会の来場者たちの中で一番人気が高いのは「おふろだいすき」ではなかろうか。展覧会場を出た位置にあるグッズ売場を見た限り、各種グッズの売行が良いのは「おふろだいすき」関連グッズであるように見受けた。
グッズ売場では、展覧会図録と一緒に、絵本『こんとあき』と「おふろだいすき』、両作品のクリアファイルと後者の小型クリアファイル、カンバッジ二個、コイン入れを購入した。何の興味もないまま観てみた展覧会で予想外の感銘を受けて、こんなにも多量に買物をしてしまうのは実に珍しいことだった。
続けて常設展示も鑑賞。受付で過去の展覧会図録「藤子・F・不二雄の世界」を買い、喫茶室のカレーで昼食。サラダ食べ放題サーヴィスになっていて、これも良かった。食後の珈琲には小さなケーキも付いてきて、これも実に良かった。あまりにも楽しくて長居してしまったが、昼二時二十分に美術館を出て、商店街を抜けて、二時四十八分、香川県立ミュージアムに到着。時間がなかったので常設展示のみ鑑賞。しかし、ここでも楽しくて不覚にも長居してしまい、博物館を出たとき既に夕方四時頃。そこで近道を通ろうと思い、玉藻公園へ入場。入場料二百円だが、高松城を眺めながら近道も通り得ると思えば、この通行料は安い。高松築港駅の脇の門へ出て、そのまま高松駅へ。荷物を受け取り、指定席特急券を買い、四時五十分に出立。夜七時二十五分頃に松山駅へ到着し、道後まで電車で戻った。