Mの悲劇

TBS日曜劇場「Mの悲劇」。山室大輔演出。橋本裕志脚本。稲垣吾郎主演。第九話。
前回ついに正体を現した久保明佐々木蔵之介)は警察に追われる身と化した。彼の行動に注目する限り今週の第九話の過半は苦難の逃亡に費やされたが、最後の約十分間に至り再びの爆発を見せた。前回の怒りの場において人を殺しかねない目付きに変じた彼は、今回、街の不良三人組の一人を鉄の棒で殴って、恐らくは殺したろう。そしてそのまま安藤衛(稲垣吾郎)の背後に忍び寄ったのだ。実に恐ろしい急展開だった。
だが、この物語の真の恐ろしさはむしろ不幸の連鎖にこそあると思う。一連の事件を急激に推進したのは幸田美沙=相原美沙(長谷川京子)の安藤衛への八つ当たりの怨恨にあったが、その発端を作り増幅させて利用したのは久保明だった。そしてそこに下柳晃一(成宮寛貴)や中西瞳(吉岡美穂)の義憤や嫉妬や、さらには高山真治(井澤健)の野心までもが作用して事件は無用に拡大した。一連の騒動は何者によっても制御されてはいなかった。一つ一つの要素は相互に無縁でさえあった。だが、それら全ては相互に連関して、当事者たちの誰一人として予想できなかったような大掛かりな一つの事件を生み出したのだ。だが、事件群の全体を偶然の連鎖のみによって説明するわけにもゆかない。なぜなら事件を積極的に推進した一者がいるのは確かだからだ。発端を作り、関連して生起した一連の出来事を利用し、解決したあとにも持続させようとしていたのは久保明だった。久保明=松本明は少年時代、安藤衛の両親と安藤衛自身によって悲惨な生活を余儀なくされた。この「二十年前」の恨みが全ての始まりだったわけだが、もう一つ見逃せないのは、相原美沙=幸田美沙の両親を殺害した放火犯が松本明の父親であるかもしれないことだ。そうであるなら、相原美沙は松本明の父親によって一度目の不幸を被り、松本明=久保明によって二度目の不幸を被ったことになる。しかるに、松本明の父の犯行も久保明の陰謀も、何れもその淵源は松本明の父が安藤衛の両親の借金の保証人となったことで財産を失い零落したことにあったわけだ。こうして、当初一連の騒ぎの出発点と見られた相原美沙の不幸の安藤衛に負う原因が相原美沙の知っていた以上の重層性をも帯びて来るに至った。不幸と怨恨は実に、循環していたのだ。
この連鎖、循環こそが真の意味において悲劇的であって、そこにこそ観者を慄然とさせざるを得ない力がある。ここで不図想起するのは、かの英国の名探偵シャーロック・ホームズが「ボール箱」事件の終結のあとに発したあの形而上学的・神学的でさえある厳粛で深遠な言葉だ。「この意味は何だろう?この苦難と、暴力と、恐怖の、循環の目的は。目的はあるはずだ。でなければ宇宙は無意味であり、それはあり得ない。何のためにだ?ここに、人類の大問題がある。現在も、その解答は出ていないのだ」。