仮面ライダー響鬼第45話

テレビ朝日系“スーパーヒーロータイム”ドラマ「仮面ライダー響鬼」。細川茂樹主演。四十五之巻「散華する斬鬼」。
ザンキ松田賢二)は門人トドロキ(川口真五)のために「禁断」の呪術を用いた。この行為を貫く強烈な執着においてザンキは「鬼であるために鬼を超える」の精神から逸脱している。鬼としてのザンキを崇拝するトドロキがザンキを安堵させることで成仏させたのは必然の展開だった。ドラえもんを安心させるためジャイアンに立ち向かった野比のび太(名作「さよならドラえもん」における)を想起した人々も少なくなかったろう。
ザンキのこうした行為と正反対の地点にあるのは桐矢京介(中村優一)の行為だった。彼は、彼をかつて苛めていた連中を「魔化魍」から守ったが、そのための武器として「陰陽環」を使おうとしていたものの、土壇場で悩み、結局は使わなかった。使うのを敢えて止めてしまったのは、それが真の己の力ではないことに納得ゆかなかったからだった。たとえ目的において正であろうとも手段において不正であってはならないということ。そして己の用いる力は己の力でなければならないということ。桐矢の結論はそこにあり、それは同時にヒビキ(細川茂樹)の待望した結論でもあった。また、桐矢がそう考えるに至る過程で、かつての苛め児に対する復讐心を克服できていたことも見落としてはならない。云わば鬼を超えようとしているのだ。
もっとも、ザンキの行為の根源にある師弟愛が麗しいものであることは否定できないし、桐矢の悟りの発端にあった復讐という動機と盗みという行動はそれ自体は決して肯定できない。桐矢に対する安達明日夢栩原楽人)の疑念は、少なくとも半分は当っていたわけなのだ。先週から今朝にかけての二話におけるザンキと桐矢それぞれの行為は、正と悪、美と醜、光と影、陽と陰の二面性に彩られている。その意味では両名は類比者として描かれ、対比されていると見ることもできよう。また、ザンキの愛の深さを目の当たりにして動揺せざるを得なかったイブキ(渋江譲二)と、桐矢の憎しみの深さを想像して動揺せざるを得なかった明日夢とが反対方向で類比的であることにも気付かされる。かつて響鬼に陰陽二元論ありとの説が持て囃されたことがあったが、それに対する制作者側の異論回答が、人物像の具体化と人物間の構造化におけるこの鮮やかな陰陽二面性の呈示にあるのかもしれない。