仮面ライダー響鬼第47話

テレビ朝日系“スーパーヒーロータイム”ドラマ「仮面ライダー響鬼」。細川茂樹主演。四十七之巻「語る背中」。
安達明日夢栩原楽人)脱落。そして桐矢京介(中村優一)は決戦場へ走ったヒビキ(細川茂樹)のあとを追いかけ、手助けし、過酷な死闘の全てを確と見守ろうとしていた。それがどんな結末に至るのか、次週の最終回を見届けるしかない。
それにしても、明日夢の脱落を知ったときの桐矢の怒りの意味は何だったのだろうか。桐矢自身が「パネルシアター」会場において暴れながら叫んでいたように、明日夢と勝敗を決したかったのに明日夢が逃げてしまったので、それを裏切りと見て怒ったということなのか?無論それもあったはずだ。勝敗を決するということの内には、互いに競い合うことで互いに高め合い、最終的に何れがヒビキの後継者に選ばれるにせよ、納得ゆく結論を得たいという思いがあったろう。それは云わば、死にゆくときにも後悔しないよう「よく生きる」ための、桐矢にとって考え得る唯一の選択肢だったに相違ない。
だが、もう一つ、彼の怒りの根底には多分、ヒビキへの明日夢の入門が何一つとして確かな覚悟に裏付けられてはいなかったという(視聴者には固より自明ではあった)事実への深い失望があったろうとも思う。もちろん明日夢のこの期に及んでの優柔不断はそれ自体、責められる程の問題ではない。高校生の少年に対して死への覚悟を求めることなんて余程の事情がない限り難しい。ヒビキにはそれがよく分かっていたから、あんなにも弟子入りを拒否し続けたわけだろう。明日夢の離脱も、案外ヒビキには予想できていたのではなかったか。だが、それでもなお桐矢のあの爆発的な怒りには必然性があると理解できる。なぜなら既に覚悟を決めつつあった桐矢に対抗し、競合し続けてきた明日夢の内面には実は覚悟の欠片もなく、あったのは単に衝動的な敵対心だけだったからだ。何と「つまらない」ことだろうか。
確かにそうした意地の対抗心の果てに明日夢が生と死との一体性、相互性について倫理学的に思索したことは大きな前進であるだろうし、また思索の果てに修業を断念することも一つの意味ある決断ではあるはずだ。その価値の大きさは否定し得ない。普通の少年としては立派過ぎる位だ。ヒビキが明日夢の「成長」を喜んだのは当然だが、桐矢にとっては納得ゆく展開ではあり得なかったろう。明日夢は曲がりなりにも「鬼」を目指した少年なのだ。しかも「鬼」修業に代わる新たな道も、不治の病の少女への献身という大き過ぎる事情はあるにせよ、結局は周囲の状況に流された挙句、何となく引き受けただけのものと云えなくもないのだ。桐矢の失望、怒りに全く間違いがないわけではないが、必然性があるのは間違いない。