女王の教室スペシャル第二夜

日本テレビ系ドラマスペシャル「女王の教室・エピソード2-悪魔降臨-」。遊川和彦脚本。大塚恭司演出。池頼広音楽。制作協力=日活撮影所。天海祐希主演。夜九時からの二時間番組。
[主な登場人物&出演者]阿久津真矢(天海祐希)●宮内典子(西田尚美)・宮内[東京都庁官僚](矢島健一)●宮内栄二(森田直幸)●真鍋由介(松川尚瑠輝)●里中翼(伊藤大翔)●東京都教職員再教育センター上田指導主事(石原良純)●平野教頭(清水章吾)●近藤校長(泉谷しげる)●天童喜一校長(平泉成
驚異的に密度の高い二時間だったが、中でも最大の見せ場が「どうして人を殺しちゃいけないんですか?」という問題をめぐる阿久津真矢(天海祐希)と宮内栄二(森田直幸)との間の問答、対決、死闘の場にあったのは云うまでもない。人は人を殺してはならないということを、我々は通常、問うまでもない自明の真理としか受け取らないが、疑う余地もない真理が疑いをかけられたとき、往々我々は答えるべき言葉を持ち合わせていない。自明の真理の存在を認めようともしない弱肉強食主義者に対して、理屈を超えた真理の真理性をどのように了解させればよいのか。流血の死闘の中で阿久津真矢が取り得た唯一の道は、体を張って教え、真理を体で理解させることでしかあり得なかった。人が殺されることの痛みと自分が殺されることの痛みを。
権力と財力があれば何をやっても許されるという思考は、権力も財力もない者は何もしていなくとも責められ得るという思考に通じ得るかもしれないし、権力と財力がなければ幸福にはなれないという思考は当然、権力も財力もない者には不幸しかないという思考に繋がるだろう。宮内栄二の父(矢島健一)は権力者であり、宮内栄二の母(西田尚美)は権力と財力への信仰を吾が子に教え込んだのだ。宮内栄二があそこまで病んだのも必然だ。子の責任が全て親にあるとは一概には云えないが、病んだ世間の大人たちに責任があるのは間違いない。ここにおいて教育者までもが同じ病を共有していれば救いがあり得るはずがない。
それにしても東京都教職員再教育センターの教室における阿久津真矢と上田指導主事(石原良純)との問答にも恐ろしいものがあった。ここにおいて教育者は上田であり、阿久津真矢は教育される立場にある。だが、阿久津真矢がどこまでも「教育の奇跡」を信じ、これまでに幾度も既にその手応えを感じたことがあるのに対し、上田指導主事はそんなものがあり得ることさえ考えたこともないらしい。教育の力に不信感しか抱いていない教育者が、教育の政策を決定し、教師たちを「再教育」しているのだ。
阿久津真矢があの「悪魔のような」黒装束に身を包み、世間の悪を自ら極端な形で演じてみせたのは、子供たちの前からは巧みに隠されてある救いのない不条理の存在を厳粛に突き付け、それへの違和感を惹起するための選択だった。教育の鬼と化した阿久津真矢が、昨年、あの教室で語った冷酷な言葉の数々は、人間=阿久津真矢が以前の生における悲劇の局面で様々な敵たちから突き付けられてきたものの転用だった。全てを受け止め、理解し吟味し批判し、打破し得た瞬間、黒装束の教室の女王が生まれたのだ。悪魔降臨のような変容の必然性は昨夜から今宵にかけての二夜、全四時間のドラマにおいて力強く描き出された。今その迫力に圧倒させられている。