功名が辻第二十話

NHK大河ドラマ功名が辻」。司馬遼太郎原作。大石静脚本。仲間由紀恵上川隆也主演。第二十話「迷うが人」。
兵糧攻めの恐怖。それは俗に羽柴筑前守秀吉(柄本明)の平和主義を物語る戦い方であると思われがちであるし、確かにそういう面もなくはないだろうが、兵糧攻めに遭わされた側にとっては刃で瞬時に殺害される以上の地獄を見ることでもあるのだ。別所長治(平田康之)の三木城を完全包囲していた秀吉軍の、或る晴れた日、山内一豊上川隆也)家臣の五藤吉兵衛(武田鉄矢)は主君と若い祖父江新一郎(浜田学)を相手に、兵糧攻めの恐ろしさについて想像してみて下され!と諭し(かの「女王の教室」において繰り返された「イメージできる?」の教えに他ならない!)、今頃は食うものの何もなくなっているだろう三木城内で、立ち上がるだけの体力も気力も、人間としての尊厳さえも全て失っているだろう敵方の全ての人々に対して精一杯の敬意を払うのが武士の情けであると教えた。なるほど五藤吉兵衛の役に金八先生こと武田鉄矢を起用したのは意味あってのことだったのだ。コメディ色の強い今年の大河ドラマにあって今宵のこの説教の場には最も深みがあった。しかるにその深みを台無しにしたのは小りん(長澤まさみ)。安いメロドラマに堕してしまった。ところで、黒田官兵衛斉藤洋介)の人質として千代(仲間由紀恵)の許に預けられていた松寿丸(高木優希)の件で織田信長舘ひろし)が鬼の目にも涙を流したのは劇中の一要素としてはどうだったろうか。私見では現時点においてはドラマの論理からの逸脱であり、大失敗だったと判断せざるを得ない。何故なら本作では信長の狂気の原因も論理も構造も描かれていないからだ。本当はよい人なのに何か事情あって非道い人になっているのに相違ない…と思わせたいのだろうが、生憎「事情」が描かれていないので説得力がない。ところで、今作において森蘭丸渡辺大)が、従来の弱々しい美少年とは違い、林通勝苅谷俊介)や佐久間信盛(俵木藤太)のような重臣にも刃を向ける武闘派の親衛隊長に描かれているのは、彼が武門の出身であること、また、戦国時代の武将の若道が強い男同士の関係であることに鑑みて首肯できる解釈と云えるだろう。