ギャルサー最終話

日本テレビ土曜ドラマギャルサー」。藤本有紀脚本。池頼広音楽。主題歌=藤木直人「HEY!FRIENDS」。パラパラ振り付け=前田健。戸田一也&千葉行利(ケイファクトリー)プロデュース。制作協力=ケイファクトリー岩本仁志演出。第十一話=最終回。
重大に見えることの真相が思いのほか些細なことでしかないかと思えば、些細なことが重大な意味を秘めている。それがこのドラマの妙味であると云える。今回の話で一例を挙げれば、シンノスケ(藤木直人)の生命を救うため急遽アリゾナから日本に飛んで来たジェロニモIII世(古田新太)が、シンノスケの入院する大病院で、救命救急医(小林隆)と対決した場面。「できる限りのことはやった」と云う医師に、ジェロニモが「救いの儀式はやったか?」と詰問した場面だ。医師の云う「できる限り」というのが最新鋭の西洋医学の範囲内のことでしかない点については、現代の日本の大都会を舞台にした物語の中では問うても仕方がない。だが、ジェロニモにとっては「祈り」こそが基本である以上、最低限の「祈り」さえもやっていないような治療は「できる限りのことをやった」とは認められないに相違ないことを理解しておく必要がある。そして真の対決の意味がその奥にある。救命を求める祈りが、亡くなりつつある者の行為ではなく、見守る者の行為であることの意味だ。科学者としての救命救急医は「できる限りのことをやった」末に治療が成功するか否かを決めるのは「本人の気力次第」であると言い放った。このように科学者としての医師は都合の悪いときには進んで科学を放棄するのが常だが、問題は、医師が人一人の生命の問題を当人一人の持ち物と考えていることだ。彼とジェロニモとの争点がこの点にあったと思われる。ジェロニモにとって人一人の生命は当人一人のものではない。その人を取り巻く全ての人々にとって欠くことのできないものなのだ。彼ら皆が一緒になって労苦を厭わず危険をも顧みず己を犠牲にしてでも祈り続けて「救いの儀式」を執り行うことの必要不可欠性がそこに生じるわけなのだ。
[主要な登場人物&出演者]●カウボーイ北島進之助=シンノスケ(藤木直人)●ギャルサー「エンゼルハート」白組サキ17歳(戸田恵梨香)▲六代目総代表レミ18歳(鈴木えみ)▲黒組ユリカ16[23]歳(矢口真里)▲黒組リーダーナギサ18歳(新垣結衣)▲次期七代目総長候補リカ17歳(岩佐真悠子)▲白組シズカ16歳(佐津川愛美)▲白組スミレ16歳(奈津子)●ドラッグストア店主相川勇作44歳(温水洋一)▲同店薬剤師早川晶子33歳(三浦理恵子)▲妄想の中に登場する男(阿南健治)▲ジェロニモⅢ世の娘モモ8歳(山内菜々)●ギャルサー「エンゼルハート」次期七代目総長候補ラン(西田奈津美)・白組リーダーシオリ(松山まみ)・白組副リーダーソラ(森望美)●土屋文具店主土谷守50歳(高田純次)▲商店会長夫人&音楽喫茶クリフォード女将柳下恵美子43歳(大島さと子)●ドラッグストア店員砂岡(顔田顔彦)・ドラッグストア店員(川村陽介)●渋谷警察署交番勤務警察官一ノ瀬誠24歳(佐藤隆太)▲謎のインディアン=ジェロニモIII世(古田新太)▲商店会長&音楽喫茶クリフォード店主柳下哲雄49歳(生瀬勝久)。