わたしたちの教科書第十話

フジテレビ系。ドラマ「わたしたちの教科書」。第十話。
脚本:坂元裕二。音楽:岩代太郎。主題歌:BONNIE PINK「Water Me」(ワーナーミュージックジャパン)。プロデューサー:鈴木吉弘&菊地裕幸。制作:フジテレビドラマ制作センター。演出:河毛俊作
子どもたちの魂の病について原因を作ったのは学校だろうか?無論それはないとは云えないだろう。しかし学校を無気力化し、教育委員会を硬直化したのは何者か?と考えるなら、根本の原因はどこまでも親たちにこそあると考えざるを得ない。愚かな親たちに便乗する報道機関や親たちの馬鹿な要求に応えるのみの議員(政治家)の責任が重大であるのは云うまでもないが、そうした権力を煽り操っているのも結局は、教育の問題に関しては、親たち以外にはない。親たちが教育を腐敗させ、延いては子どもたちを堕落させているのは間違いない。
今回登場した兼良陸(冨浦智嗣)の母、由香里(渡辺典子)は愚かな親の典型であると云えるだろう。吾が子が何を考え、どのように行動してきたかを全く見ようともしなかった。それどころか、己が何をしているのかを冷静に見詰めることさえできなかった。この女は、喜里丘中学校におけるイジメ問題に関し、吾が子の無実を証明すると称して、吾が子を証言台に立たせてしまったのだ。まだ中学生でしかない子どもをそのような場に立たせること自体の異常性を、想像できなかったのだろうか。子どもをそのような場に晒すことが、どうして子どもを守ることであり得ようか。実際、たとえ無実を訴えるためであろうとも、イジメ問題を取り上げる法廷に苛めた側の一員として立ったことで彼は、事実上、イジメの首謀者に祭り上げられてしまった。
彼がイジメの新たな標的になった直接の原因は彼の父親の逮捕という事件にあったが、その犯罪を告発したのが実は彼自身だったというところに事態の深刻性がよく表れている。彼は法廷で己の正しさを主張するため、己の家庭環境の素晴らしさを語るよう瀬里直之(谷原章介)によって導かれたが、己を幼時から厳しく正しく育ててくれた父親の、少女買春という犯罪の事実を目撃したことで父親に失望し、強烈な嫌悪感をさえ抱いていた彼にとって、そんな父親への敬意や感謝を語ることは己を傷付けることにしかならなかった。それで傷付いた彼は己の父親を告発して、父親への復讐を果たしたわけだが、それが今度は彼に対するイジメをも誘発するに至ったのだ。苦痛の連鎖としか云いようがない。これを自業自得と評するのは適切ではない。
雨木音也(五十嵐隼士D-BOYS])が牢獄に入らなければならなかったのは、中学生だったとき、同級生を刺したからだった。同級生を刺したのは「悪いイジメ児」を許せなかったからだった。こうして意外なことが見えてきた。副校長の雨木真澄(風吹ジュン)がこれまでイジメ等に関して無茶な隠蔽を続けてきた理由、さらには、裁判での勝敗よりも学校にイジメがなかったことの主張を続けたいと考えた理由には、学校を外部の批判から守りたいという公的なものに加えて、吾が子の真直ぐ過ぎる正義感を刺激したくないという余りにも私的なものもあったのかもしれないのだ。