受験の神様第八話

日本テレビ系。土曜ドラマ「受験の神様」。
脚本:福間正浩。音楽:池頼広。主題歌:TOKIO「本日、未熟者」[作詞&作曲:中島みゆき]。演出:岩本仁志。第八話。
梅沢広(長島弘宜)が、祖父=幸之助(長門裕之)の葬儀で、人生における大切なことを学び得た。同時に、文の意を読みながらそれを書いた人の意そのものに共感することを経験し得たことで、長文を読解する意を学び得て、これまで苦手にしていた国語科の受験勉強にも、これを機に大いに取り組めるようになった。勉強の一時の中断が勉強を一気に進めた構図を解することができよう。とはいえ受験勉強を描くドラマとして見るなら、余りにも精神論に傾き過ぎていて具体性に乏しいのも確かだ。
実のところ、成績の悪い少年が一夏で一気に優等生の仲間入りをするというのは現実にもあり得ることだが、その前提としては、彼の成績を悪くしていた些細な原因が何らかの手段で除去されるという契機が必要で、従ってその過程を描くドラマにおいては原因の解明と解決の契機を明確に描写しなければならないはずだ。このドラマの梅沢広の場合、今宵の「文章を書いた人の心に共感すること」の有無ということがその原因であり解決法だったのかもしれないが、その描写が余りにも抽象的、観念的だったのは残念だ。そもそも文章の読解力というのは極めて高度に総合的で論理的な能力であって、そう簡単に身に付くものでもないだろう。総合性とは教養だからだ。
古代ギリシアの賢者アリストテレスが「ニコマコス倫理学」1142a16-20で述べるように、少年が数学に秀でた者にはなり得ても、哲学や自然学の見識を有する者にはなり得ないことは、その傍証であり得よう。