土曜ドラマ受験の神様第九話

日本テレビ系。土曜ドラマ「受験の神様」。
脚本:福間正浩。音楽:池頼広。主題歌:TOKIO「本日、未熟者」[作詞&作曲:中島みゆき]。演出:本間美由紀。第九話。
このドラマに今一つ勢いが足りないのは何故か?と考えるなら、一つには、やはり「受験」というものを余りにも精神主義的に説き過ぎているからだろうと思う。「学問の神様」というのであれば学問の精神を説くのが当然だが、受験というのは所詮は入学試験・入社試験等の選抜試験のことでしかないわけで、それは大袈裟に云えば適者生存の競争なのだから、そのための勉強とは勝ち抜くための武器を身に付けること以外にはないはずなのだ。具体的に云えば、例えば先週放送分において梅沢広(長島弘宜)は、国語科のための読解力を向上させるため、「文章を書いた人の心に共感すること」を学んだ。なるほど必要なことではある。しかし読解力を向上させるために先ず心掛けるべきことは、例えば指示の代名詞・形容動詞・副詞・連体詞等(所謂こ・そ・あ・ど言葉)の対象を特定してゆく等の、語の意味を明確化して全体に反映させることではないのだろうか。英語等の外国語を勉強する者は当然そうするだろうが、国語においても当然そうすべきなのだ。それは云わば読解のための最低限の技術であって、それなくして明晰な読解はあり得ない。そして思うに、勉強の精神を語るべき場面は、むしろこの技術の適用・訓練の努力においてこそ現れて然るべきではないだろうか。そうした方が、菅原道子(成海璃子)の言動をもっと厳粛に見せることにもなったろうに…とも思う。