月九ガリレオ第四話

フジテレビ系。月九ドラマ「ガリレオ」。
原作:東野圭吾探偵ガリレオ」「予知夢」。脚本:福田靖。音楽:福山雅治菅野祐悟。主題歌:KOH+「KISSして」。演出:澤田鎌作。第四話。
自然科学者が倫理を持ち出すのは愚の骨頂!と云い放つ物理学専攻の学生=田上昇一(香取慎吾)に対する物理学者=湯川学(福山雅治)の「科学者は研究を完璧に仕上げなければならない」という斬り返しは鮮やかだった。無論、自然科学者だろうと何だろうと倫理は必要に決まっているが、世の神聖な領域や正義の秩序を常に侵犯し破壊し続けてきたのがルネサンス以降の自然科学の「進歩」の歴史だったということを踏まえるなら、田上のように、進歩のために必要なのは自然科学であって倫理や伝統ではないと思い込んだ者がいたとしても、決して不思議ではない。そのような狂人に対して大人の正論を説いても効き目はないだろう。唯一有効な攻撃は、彼の価値観そのものの内部に不完全性を見出すことに他ならない。
その意味で、事件のあと湯川が田上に対し、田上の創造した超音波による殺人方法が、その完成までに五年間も要した割には研究成果として甘く、不完全であり、無価値であることを告げ、「僕ならアザも残さない」と云い放ったのは最も効果的な断罪であり、死刑宣告でさえあったと云えるだろう。
それに先立ち彼は刑事の内海薫(柴咲コウ)に対しても、わずかな事実を調べるまでに時間をかけ過ぎていること、捜査の遅さを批判していた。田上に対する断罪と似ているが、本質において異なる以上、これは湯川の視野の狭さを露呈するものでしかない。なぜなら人事、史実に関する調査は単純ではないからだ。何年も何十年もかけて調査を続けても一つのことさえ判らないかと思えば、わずか一冊の資料を一瞥しただけで重要な事実をいくつも発見できてしまうこともある。しかし湯川学は人間や社会に関する調査の困難なんか知らないのだろうし興味もないのだろう。内海薫の捜査の遅れに対して冷たい言を放つのも仕方ない。だが、あれは大人の言ではない。その意味では彼も田上昇一と大差ないとも云えるのだ。