働きマン第七話

日本テレビ系。水曜ドラマ「働きマン」。
原作:安野モヨコ。脚本:吉田智子。主題歌:UVERworld浮世CROSSING」&働木満(沢村一樹)「働きマン音頭」。演出:南雲聖一。第七話。
山城新二(吉沢悠)と松方弘子(菅野美穂)の破局。その原因は色々あったのだろうが、ドラマ鑑賞の上で一つ看過し得ないのは、松方弘子における想像力の欠如という問題だ。関連して踏まえるべきは、松方弘子には、勤務する出版社「豪胆社」の複数の編集部の間で異動を命じられる可能性こそあれ、経理や営業の部門にまで異動させられる恐れはないのではないか?ということだ。そうであれば松方には、山城新二の苦悩の深さを理解するだけの想像力なんか持ち合わせようもないのかもしれない。それでもなお問うべきは、松方弘子は仮に編集部から経理部や営業部に異動させられてもなお今と同じだけの意欲を維持できるのか?ということだ。好きな仕事、やりたい仕事であろうとなかろうと仕事には真剣に取り組まなければならない!という主題であれば田中邦男(速水もこみち)や渚マユ(平山あや)をめぐり既に描かれてきた。だが、好きな仕事、やりたい仕事と現在の仕事との差を考える場合にも、両者間の差が単なる距離の差に過ぎないのか、それとも種類の段階から異なるのかの別を見落とすべきではない。熟練した職業人であるはずの者を新人同然、素人同然に変えてしまう空虚な人事が世に少なくはないということを、松方弘子は全く想像できていない。
加えて、松方弘子には、仕事に没頭し徹夜する程の過酷の日がある反面、仕事を忘れて食や美容に時間を費やしたり友と会ったりする程の余裕ある日もあるようなのだ。案外なかなか人生を楽しんでいるのだ。恐らくは山城新二よりは松方弘子の方が、私生活を満喫できているように見受ける。そしてそこには、恋人であるはずの山城新二の出る幕はなかった。彼を必要とするのは、落ち込んだときの「癒し」としてのみ。こういうのを恋愛と称するのは適切だろうか。恐らく松方弘子の側には恋なんかなかったのだ。