昨日の出来事

昨日のことを録しておこう。
昨日は朝から外出し遠出をした。歴史学者氏とともに川之江新居浜へ出かけたのだ。川之江では駅の近くにある高原ふるさと館で開催されていた三好藍石・続木君樵の文人画展を見物。同所では夏にも藍石展があった。幕末明治の文人画家に関心を持つ者として藍石と君樵にも大いに注目していて、それで川之江まで時間をかけて訪ねたのだが、同館の職員に冷たくあしらわれてしまい、一寸やる気をなくした。
なお、この展示会には寒霞渓を描いた藍石の大幅も出ていたが、その題を「寒霞渓秋景図」としていたのはよくない。画中に確りと「大日本帝国讃岐小豆島寒霞渓秋景之図」と書いてあるではないか。明治二十六年という制作の時期(実際の制作年はその前年だろう)や万国博覧会への出品という制作の目的を踏まえるなら、「大日本帝国」という語には特別な意が込められていたと考えるべきだし、「図」の前に「之」を書くのも時代をよく物語っていると云わなければならない。
同所を直ぐあとにして川之江の駅前で昼食を取ったあと新居浜へ。新居浜市立郷土美術館で開催されていた「昭和レトロ展」(「思いでいろいろ昭和物語」)を見学。これは文句なく面白かった。新居浜別子銅山で栄えた町であり、江戸時代以来の銅山経営者だった住友家の繁栄に連動して発展した工業都市であるから、昭和三十年代から四十年代にかけての経済成長の時代に至っては、この町の人々が無限の繁栄を信じていたのも自然なことだったろう。当時の市の広報紙や市民の撮影した写真を見れば驚くべく活気に満ちた地方都市の姿を窺うことができる。商店街には色々な店が並んでいて、物が溢れ、人通りも多く、実に豊かだったのだ。そもそも、当時の町の様子を記録した写真がこんなにも残っていること自体が、この町の文化の成熟度を示しているとも云えようか。写真によって家族や友ではなく街の様子を、しかも客観的に記録しておこうという態度は、芸術的にせよ歴史的にせよ何かを作品の形で「表現」しようという態度であり、それは高度の教養がなければ生まれては来ないと思われるからだ。昭和期の偉大なイラストレイター真鍋博がこの町の出身であることも、この町のそうした豊かさ、文化水準の高さを物語ると云えるだろう。
会場内では当時の記録映画も上演されていて、かなり長時間のその映像には栄え行く工業都市の様々な面が写し取られていた。朝の新居浜駅の、汽車から降りた通勤や通学の大群衆が自転車に乗り換えて一斉に動き始める様子もその映像で見たが、あの人の多さ一つ取っても当地の当時の活気の程が偲ばれよう。展示会場をあとにして駅へ向かう途上、預かり所なる店が二三軒あり、中に自転車が並んでいた。なるほど、駅から自転車で職場や学校へ行く人々のための、自転車の預かり所ということか。それが今なお(往時の繁盛とは比較にならないにせよ)健在であるという事実には感動せざるを得なかった。真鍋博が自転車の振興に関与していたことも、なるほど新居浜が「自転車の町」だったこととの関連で解することができるのだ。
というわけで、昨日は大変に充実した休日を過ごしたのだが、結果、疲れは甚だしく、反動で本日は夜まで殆ど寝て過ごしていた。