新番組=エジソンの母第一話

TBS系。金曜ドラマエジソンの母」。
原案:山口雅俊(ヒント)。脚本:大森美香。音楽:遠藤浩二。主題歌:Superfly「愛をこめて花束を」。音楽:遠藤浩二。プロデューサー:加藤章一。製作:ドリマックス・テレビジョン&TBS。第一話。演出:武藤淳
どうも今期の新ドラマに関しては期待しないで見たものが予想外に楽しめるという傾向があるようだ。「あしたの、喜多善男「斉藤さん」に続いて「エジソンの母」も面白かった。
花房賢人(清水優哉)の、「どうして1+1=2なの?」というのが哲学的には極めて鋭く真理を突く問いであることは明白だし、同級生からの「お前はウソツキだ」という非難に「その通り」と応じたのが論理学的なパラドクスの問題を踏まえた見事な応答であるのは云うまでもない。
実のところ「1+1=2」という命題は疑う余地のない真理であるわけではなく、単なる一つの定義に過ぎない。美浦博之(谷原章介)が述べた通り、「1+1」という数学的な問いの意味については多様な解釈の可能性が開かれていて、それらの内の何れを計算の基底に置くかによってそれぞれ異なる知の体系が構築され得る。「1+1」を「2」に等価な式と定義付けること自体は算数という極めて限定された知の世界(美浦博之の言を借りれば「ローカルな」世界)への出発点でしかない。しかし同時に、この定義を真として仮設し、受け容れることによってもっと大きな知の体系が構築され、様々な知の世界へ接続され得るのも確かなのだ。「1+1=2」への疑問は真理の探究への関門であり、そうした疑問を全く一度も抱いたこともない人がいるとするなら、その人は世界の真理に触れることができないだろうが、同時に逆に、もし「1+1=2」を仮設の定義としてさえ受け容れることのできない人がいるとするなら、その人は知の混沌から抜け出すことができないだろう。
鮎川規子(伊東美咲)が花房賢人に対し、“「1+1=2」が唯一正しいわけではないけれども、一先ずはそれを正しいと思うことにして、そこから前に進んでゆこう!”と勧めたのは、現実と哲学との狭間にあって恐らくは殆ど唯一の適切な解決方法なのだと思う。
とはいえ現実に花房賢人のような哲学的な子どもが現れた場合、小学校教師たちは一体どのように対処することだろうか。鮎川規子も当初は花房賢人の言動を全く理解できていなかった。元恋人である大学准教授の美浦博之からの助言によって初めて花房賢人の言動に深遠な真理性の潜んでいたことを学び、また家庭訪問によって花房賢人の向学心の強さを知り、さらに彼の母、花房あおい(坂井真紀)の吾が子への愛の深さに触れて思い直すことができたのだ。天才的な発想力、思考力を備える子どもに対し「学習障害」とか「問題児」とかの判定を下してしまう例が実際にないとも限らない。そう考えると恐ろしい。だが、だからといって学校教育者を徒に疑って侮って却下して、才能も何もない普通の子どもたちが単に勉強を怠っているに過ぎないのを天才児扱いして教育指導を拒絶するような愚行は避けられなければならない。現今の教育の難しさがそこにもある。
ところで。区立文部小学校の、鮎川規子を担任とする教室1年2組における副担任の若い教師、久保裕樹(細田よしひこ)。教育に対する特別な熱意があるわけではなさそうだが、仕事を決して疎かにすることはなく、案外、子どもたちの言動には冷静にも温かく接しているようだ。教師としての常識に閉じ籠るつもりがなさそうで、花房賢人の鋭い発言にも素直に肯いて面白がっていて、条件反射的に拒否してしまうことがなかった。万事に模範的で「面白くない」鮎川規子とは対照的であるのが面白い。この若い教師の役を演じる細田よしひこは、本来ならソコソコ歩み得たかもしれないはずの所謂イケメン俳優としての路線を全く歩もうとしていなさそうに見えて、見ていて楽しい。