エジソンの母第二話

TBS系。金曜ドラマエジソンの母」。
原案:山口雅俊。脚本:大森美香。音楽:遠藤浩二。製作:ドリマックス・テレビジョン&TBS。第二話。演出:武藤淳
花房賢人(清水優哉)の冒険心に対する加賀美祐子(松下由樹)の叱責は、恐らくは実に適切だった。好奇心は大切だが、周囲の人々に迷惑をかけてはならないし、何より、大切な母親を悲しませてはならない…というのがその内容だが、確かにこの叱責は彼の心に響いたようだった。ことに、母親思いの彼の、その母親への思いに起因する奇抜な行動の数々が結果としては逆に母親に苦労をかけることにしか繋がらないことを厳しく指摘したあたりには加賀美教諭の教員としての経験の豊かさの一端を窺うことができよう。
思うに、教育者に必要なのは何らかの「中身」であるのだと思う。「中身」と云えば抽象的に過ぎるが、端的に云えば知の豊かさを要すると思うのだ。知というのは必ずしも学識とは限らない。例えば、対人関係における百戦錬磨の経験の豊かさはどんな学識にも勝る最強の知であるだろう。他方、やはり学識は教育者の基盤であるべきだ。子どもたちの素朴な「どうして?」の疑問に対して何一つ云い返せないようでは流石に困る。
思うに、あのような異常な好奇心を備えてしまった子どもに直面したとき、教師は必ずしも解り易く説明できなくてもよいのではないだろうか。世の中にはとてつもなく難しい領域があるということを、感じ取らせるだけで充分ではないか。この世は謎に満ちていて、そうした謎について知ろうとすることがなければ人生は物足りなく、しかるに謎について考えるためには知っておかなければならないことが余りにも多く、ゆえに学校で確り勉強して頭脳の体力を付けておかなければならないのだということを、思い知らせればよいのだ。しかるにそのためには先ずは教育者の側に学識と思考力、洞察力が備わっていなければ対処の仕方がどこからも出て来ないことだろう。
子どもの発する「どうして?」に対して、「どうして『どうして?』?」と応じているようでは話にもならない。中身がないにも程がある。
鮎川規子(伊東美咲)は云った。小学一年生は一年生の勉強に専念すべきこと、上級生の学習すべき内容にまで興味を持つのは早過ぎることを。無論その通りだ。正論だ。しかし反面、「年齢相応」ではない好奇心を持つことなしには人は成長し得ないのではないだろうか。と云うか、そもそも好奇心とはそういう性質を有するだろう。大人でなければ解し得ないような難しいことに興味を抱いてこそ子どもは真に自発的に学習に励めるのであって、教科書に載っていることで満足しているようでは到底まともな思考力は養われはしないに相違ない。