エジソンの母第六話

TBS系。金曜ドラマエジソンの母」。
原案:山口雅俊。脚本:大森美香。音楽:遠藤浩二。製作:ドリマックス・テレビジョン&TBS。第六話。演出:武藤淳
太陽という存在の二義性が今宵のドラマを生んだと云える。
花房賢人(清水優哉)は、宇宙に関する図鑑を読んで、太陽が約五十億年後にはその生命を終えると予測されていることを知って慌てた。太陽の終焉は地球の終焉をも含意し、地球の終焉は人間の滅亡を含意する。そこから彼は、愛する母や友の死を連想して動揺し、学校の友たちにそのことを伝えたことで区立文部小学校1年2組の児童全員が騒ぎ始めたのだ。しかし興味深いのは、花房賢人が太陽の終焉を「太陽の死」として語っていたこと。しかも、これは単なる比喩的な表現ではなかった。彼は太陽を人間等と同じような生命体として捉えていると思しい。だから彼は、太陽を死なせないための策として、太陽を若返らせることを考えようとした。そして友たち皆と一緒に、太陽に声をかけ、応援し、元気付けようとした。彼には自然科学への強い関心があるが、同時にそれを物語の世界としても見ている。
太陽は古来「御天道様(おてんとうさま)」と呼ばれる。
太陽は明るい笑顔の如く、雨は涙の如し。だから雨の降る中、姿の見えない太陽に向かって1年2組の皆で声をかけた。太陽は己の運命の儚さを知って悲しみ、どこかへ隠れてしまったのだ…と思ったのかもしれない。それは同時に、この日この学級に姿を現さなかった鮎川規子(伊東美咲)とも重なっていたろう。だから、鮎川先生のいない学級で苦戦を強いられた副担任の久保裕樹(細田よしひこ)も、児童と一緒に太陽に呼びかけた。
自然科学と童話、神話の類と現実世界とが渾然とした一話として味わい深いドラマに仕上がっていたと思う。
学校教員、学級担任としての鮎川規子の評価をめぐって、花房賢人の母あおい(坂井真紀)が、あおいに惹かれている美浦博之(谷原章介)とは正反対の見方をしていたのが明らかになったのも面白かったところだ。もちろん現実を冷徹に写実的に見ているのは美浦の方だろうが、あおいと賢人の母子にとって鮎川先生が、教師としての自己に自信が乏しい分、児童の個性に対して柔軟である点において、大度量の素晴らしい教師と思えるというのは肯ける。一人の人間をどう見るか?という場合にも色々な角度からの意外な見え方があり得るわけで、実際、外面のよい奴が外面のよいだけの奴だったり無愛想な人が温かな人だったり…というのは珍しくもないし、大学教員としては優秀な美浦准教授が、元恋人の鮎川規子に対する見方においては頑なな面があって柔軟性を欠いているのも確かだろう。