鹿男あをによし第七話

フジテレビ系。ドラマ「鹿男あをによし」。
原作:万城目学鹿男あをによし』。脚本:相沢友子。音楽:佐橋俊彦。企画:中島寛朗。アソシエイトプロデュース:石原隆。プロデュース:土屋健。制作:フジテレビ&共同テレビ。第七話。演出:河野圭太
今宵のは今まで以上に圧倒的に面白かった。笑えたという意味においてのみならず物語そのものに引き込まれたという意味においても面白かった。今週までの七話を通して解しようもなかった堀田イト(多部未華子)の謎が一挙に解き明かされたのだ。しかもその謎は唯一つ。一つの謎の解明が、これまでの無数の不可解の出来事に全て道理があったことを導き出した。世界を曇らしていた雲が一挙に去り行き陽光を取り戻してゆくかのような、壮麗な新展開の到来の瞬間だったと云ってよい。
堀田は鹿(声:山寺宏一)の「使い番」。小川孝信(玉木宏)は鹿の「運び番」。小川先生と堀田は最初から使命の共同体だったのだ。
小川先生に対する堀田の頑なな思いは全てそうした事情によって解することができるが、その凍りついた複雑な感情を溶かしたのは藤原道子綾瀬はるか)だった。この風変わりな歴史教諭の、不器用でいて強引でもある女性が小川先生に片想いを抱いてしまったことは、小川先生にとっても堀田にとっても鹿にとっても、実に幸福なことだったと云わなければならない。
小川先生と堀田が二人、奈良女学館の校舎内の、人通りのない廊下の壁にある大きな鏡の前で並んで立ったときの、その鏡像は何とも不思議で異様で面白かった。二人とも鹿によって「印」を付けられていて、顔だけ鹿になっていたのだ。「印」が見えるのは鏡の中だけ、それも己自身の眼にしか見えないが、反面、「印」を付けられた者同士であれば互いの「印」を見ることができたのか。顔だけ鹿になった両名の語り合う様子が傑作だった。
小川先生と堀田と藤原先生。三人が鹿の云う「眼」をめぐる謎について改めて語り合う中で、狐の使い番が京都女学館の長岡美栄(柴本幸)以外に考えられないことが再確認された。確かにそうに相違ない。京都の動物園にある喫茶店での夕方、小川先生から「狐ですか?」と聴かれたときのあの怒りようは尋常ではなかった。
そして小川先生は、鼠の運び番が誰であるのか?について、消去法による推理の末、教頭の「リチャード」こと小治田史明(児玉清)以外には該当者が思い付かないことを見出した。視聴者の誰もがそう感じていただろうが、この云わば待望の真相(と現時点では思われるもの)が導き出された瞬間、今宵の激動はさらなる熱気を帯びて頂点に達した。
こうしたドラマティクな盛り上がりのほか、笑い所も多かったのは先述の通りだが、中でも傑作だったのは、女心に対する小川先生の「無神経」、鈍感さ加減を藤原先生が非難するのを聞いて古文教師の名取良一(酒井敏也)が「ぼくらオヤジですから。所詮、女子高生の気持ちなんか分からないですよ」と云ったとき、小川先生が密かに深く傷付いていたこと。実際、まだ若い小川先生が見るからに若くはない名取先生に同類扱いされては、傷付くのは無理もない。
帰宅後の夕食の席で小川先生が魚のフライか何かをガツガツ頬張りながら、いかにも悔しそうに「どうせオヤジですから」と呟いていたのは、なかなか泣かせる笑い所だった。涙目のような、よい表情だった。
他方、藤原先生の居室に泊めてもらうことになった堀田が「小川先生は長岡先生のこと好きなんですか?」と聞いたのに対し藤原先生が、少し口ごもったような口調で肯きつつ「でも、この間フラレちゃったんだけどね」と微妙に笑顔で語ったときの、両名の間の「間」も絶妙だった。