あしたの、喜多善男第十話

フジテレビ系(関西テレビ)。「あしたの、喜多善男〜世界一不運な男の、奇跡の11日間〜」。
原案:島田雅彦『自由死刑』。脚本:飯田譲治。音楽:小曽根真。主題歌:山崎まさよし「真夜中のBoon Boon」。第十話。演出:下山天
第一話を見たとき、主人公=喜多善男(小日向文世)の風情が、妙に愛着や共感を抱かせるのと同時に、全体として何とも形容し難い気持ち悪さを醸し出しているのを感じていた。今や、その気持ち悪さの正体が何だったのかを言説化することができる。彼は、己の記憶や思考の内にあるあらゆる嫌な面を消去して純粋化された「よい人」であり、云い換えるなら一個の人間として極めて偏った存在、もっと云えば完全な人間であるために不可欠な複合性を失った存在だったのだ。だから形容し難い気持ち悪さを醸し出してしまう。
そして先週の第九話を見て感じた疑問「喜多善男に死を決意させたのは誰か?」については、三波貴男(今井雅之)とネガティヴ善男(小日向文世一人二役)それぞれの言を合わせることで概ね解することができよう。
先ず(一)ネガティヴ善男の原型を作ったのは三波貴男だったのかもしれないが、それをあそこまで強大に肥大化させたのは喜多善男その人だったに相違ない。その前提として、彼がもともと後ろ向きで、嫌なことを全て内面に抱え込み、被害妄想的でさえもあったろうことを想定しなければならない。喜多善男とネガティヴ善男が一体化したときに爆発したあの攻撃的な言動の内の否定的な思考はそのことを示していよう。しかしネガティヴ人格を形成されて以後の彼は、そうした否定的(ネガティヴ)な面の全てをそこに押し付けることで、辛うじて前向き(ポジティヴ)な人間になり得た。
しかし(二)忘れたい程に嫌な思いの全ては、未解決のまま、第二の自己(=ネガティヴ人格)として留まっている。何らかの仕方で解決されるべき問題の全てが、そうして逆に解決され得ない巨大なエネルギーとして温存され、さらに蓄積され続け、増大化した。彼は常に、その強大な「ネガティヴ善男」の存在に怯えなければならなくなった。
さて、(三)喜多善男に自ら死ぬことを決意させたのが、三波貴男でもなければ鷲巣みずほ(小西真奈美)でもなく、全体としての喜多善男であることは明白だ。問題はそれがネガティヴ善男であるのか、それとも非ネガティヴ善男としての喜多善男であるのか?という点にある。
(ア)後者である可能性も想定されなくはない。自ら死ぬことを決意した上で、なるべく心地よく死ぬことを可能にするため、死ぬことの妨げになりかねない苦悩や疑問の全てをネガティヴ善男に押し付けたという可能性だ。この場合ネガティヴ善男が死を邪魔しようとした理由も単純に解し易い。
だが、(イ)前者を想定する方がもっと尤もらしいと思う。何とかして前向きに生きてゆきたいと願望した喜多善男は、ネガティヴ善男に嫌なことの全てを押し付けたことで却って、過酷な現実に向き合い立ち向かうための機会も精神力も失ったのみか、もっと悪いことに、忘れたかったはずの嫌なことの全てを、忘れることもできず、乗り越えることもできないまま、絶えず苦悩し続け、怯え続けなければならなくなった。第二の自己自身=ネガティヴ人格に脅迫される毎日が始まったのだ。そのことが人生の「強制終了」を決意させたろう。これは必然だったのだ。なぜなら喜多善男は生きてゆくためにネガティヴ善男を肥大化させたのである以上、ネガティヴ善男は生きてゆくことの反対を求めざるを得ないからだ。しかるに、死ぬことを決意するや、その決意を鈍らせる要素は常に発生し得る。老いた母親への思いもそうだ。あんな状態の母を放って置くことなんて到底できるものではない。彼はそうした要素をも全てネガティヴ善男に押し付けた。それが奇妙な事態を生んだ。かつて彼に死ぬことを命じていたはずのネガティヴ善男によって死ぬことを邪魔され、さらには現実と向き合うよう励まされるような、逆説的な、理不尽な事態までも生じるに至ったわけなのだ。ネガティヴ人格が「陰」(ネガ)であるとすれば、非ネガティヴ側の当人の思い次第で、脅迫者であれ応援団であれ、どのような存在にでも変化し得るのだと想像される。
思うに、喜多善男は己の本来の人間性の、余りにも多くの部分を、ネガティヴ人格の側に押し付けてしまっていたのではないか。だからネガティヴ善男はあんなにも複雑で、そして非ネガティヴな喜多善男は単純だった。時折、一瞬だけは、その単純な精神を打ち破るような複雑な表情を覗かせることもあるが、直ぐに元の「よい人」に戻ってしまう。第一話を見て喜多善男に感じたあの何とも形容し難い気持ち悪さの原因がそこにあると思う。
ともかくも今宵のドラマには、心理の描写に関して極めてドラマティクな場面が多くあり、それを表現する演技の迫真性があった。非ネガティヴとしての喜多善男とネガティヴ善男の一体化。それを目の当たりにして動揺し、また周囲の激変を知って呆然としていた矢代平太(松田龍平)が、喜多善男に重ね合わせずにはいられない父への屈折した愛情。森脇大輔(要潤)は恐るべき本性をついに現したが、杉本マサル(生瀬勝久)と相棒の与田良一(丸山智己)は全ての真相に迫ることができるだろうか。次週の最終回は何としても見逃せない。見逃すことのないよう録画を予約しておくべきだろう。