二時間ドラマ=先生はエライ

日本テレビ系。スペシャルドラマ「先生はエライっ!」。
脚本:水橋文美江。音楽:菅野祐悟。プロデュース:櫨山裕子&秋元孝之(AVEC)。演出:中島悟(AVEC)。
このドラマの制作が雑誌等で発表された頃のことだったか、その主題については確か「イケテナイ中学生がウザイ先生をイイ先生に変身させる」みたいな感じに説明されていたかと記憶する。その所為で、どうせ面白くもない寒いドラマにしかなりようがなかろう…と予測していたが、それでも見てみたところ、思いのほか良い話だった。物語の後半を支配した先生の死という展開には殆ど必要性も必然性も感じなかったという意味で大いに違和感を禁じ得なかった(主要な登場人物の死を描くことで物語に感情的な盛り上がりを作りたかっただけの、安易な発想が見え透いていた)が、それを除けば、少年のための鑑戒主義ドラマとして概ね真面目な作風を堅持していた中にも所々楽しさもあって、見ていて好感を持った。
実際に描かれたドラマの主題は、「イイ先生」とはどんな先生か?という問いを、生徒にとっての真の良し悪しは何か?という問いに変換するところにあったと要約できるだろう。ウザイ教師をイイ教師に変身させる!とは云うが、果たしてウザイ教師とイイ教師とは両立しない者であるのかどうか。イイ教師とはどんな教師であるだろうか。
東京近郊の、かなり田舎の、何となく冴えない公立中学校に通っている松木聡太(中島裕翔)と梅野ワタル(知念侑李)と竹倉燐(有岡大貴)の三人組は、学校における学級担任の「ウザケン先生」こと宇佐木健也(ユースケサンタマリア)に対し、ウザイ先生からイイ先生へ変わってもらおうとした。しかし教師は、オレが自ら変わるのではなく、君たちがオレを変えてくれ!と告げた。これは深い言だった。君たちがオレを変えてくれ!とは、君たちが自ら変わることで世界の見え方は変わるはずだ!ということに他ならない。そして彼は、イイ先生とは何か?について述べた。「学ぼうとする者にだけ、それは現れる」と。逆に云うなら、学ぼうともしない者に、教師の良し悪しなんか見えるはずもないのだ。これは真理だが、この最も基本的な視点が、なぜか従来の教師論には致命的に欠けていたと云わざるを得ない。
また彼が、「今までは、語らなくとも判ってくれると信じていたが、今は語らなければ判ってはくれないらしい」と述べていたのも、かなり深い。学校とは何をする場であり、生徒はそこで何をすべきであり、教師は何を与えるべきであるか。そんなことさえも判っていないのが当たり前であるような時代が、今や到来してしまったのだ。良い教師についての論とは良い生徒についての論であるほかなく、良い生徒についての論は良い親についての論、延いては良い社会についての論にまで行き着かざるを得ない。教師の良し悪しだけを問うて問いを止めて精神の安定を得ようとは、何と病んだ社会だろうか。
ところで。松木聡太役の中島裕翔は「エンジン」や「野ブタ。をプロデュース」や「プリマダム」に出演していた頃に比較して一気に男らしく成長したように見えた。なかなか良い感じになったと思う。梅野ワタル役の知念侑李は相変わらず愛らしい。他方、彼等とは異なり都会の渋谷の中学校に通っている群青隼人を演じたのは山田涼介。このところ多くのドラマに立て続けに出演して大活躍中だが、改めて見て、顔の丸さ加減に驚愕した。余りにも丸い。彼はどのドラマでも大概クールな格好よい少年の役ばかり演じているが、あの丸顔でクール役とは、逆に勿体無いかもしれぬ。松木聡太の両親を演じたのは榊原郁恵と尾美としのり。聡太の兄、高校生の拓未を演じた中田大智も、軽薄で少し乱暴でありながらも憎めない感じをよく出していた。群青隼人の音楽仲間を、若葉竜也が演じていた。