おせん第五話

日本テレビ系。ドラマ「おせん」。
原作:きくち正太。脚本:白金カナ。音楽:菅野祐悟。協力プロデューサー:山口雅俊(ヒント)。プロデューサー:櫨山裕子三上絵里子/内山雅博(オフィスクレッシェンド)。制作協力:オフィスクレッシェンド。演出:南雲聖一。第五話。
今回の江崎ヨシ夫(内博貴)は、今までになく、何となく良い感じだった。愛嬌のあるバカで、真直ぐな熱血漢で、でも意外に賢いところもあって物事の本質だけは理解できる…という感じだったと要約できるだろうか。最初からこういう感じであるべきだったと思う反面、この変化は(描写の変更ではなく)劇中の彼の成長の結果なのだろうとも思う。大工の丁子(もたいまさこ)のために彼の淹れた茶の味を、頑固者の丁子が気に入っていたことがそれを物語る。かつて彼は、茶を淹れるのが得意な板前を目指す!と宣言していたが、なるほど、それなりに努力していたのだ。それに、他人のウケウリで賢そうなことを発言できる程度には、彼はもともと賢かったのだ。
竹田留吉(向井理)との関係も、かなり良い感じになってきている。陶器の金継について江崎ヨシ夫が半田仙(蒼井優)や珍品堂(渡辺いっけい)のウケウリで解説してみせたとき、竹田留吉は直ぐ「ぜってい、誰かのウケウリだな」と反応していたが、でも必ずしも否定的な調子ではなく、むしろ面白がっている風でさえあった。長谷川健太(奥村知史)は後ろで笑っていた。日常生活をもともにしている厳しい職人たちの職場において、若者たちの人間関係は着実に深まっていると判る。江崎ヨシ夫が(前回までは)何時も口にしていた「月給五万円」の件も、今回ばかりは、竹田留吉が江崎ヨシ夫を攻撃するための武器と化した。その辺の一寸した逆転も、絶妙で楽しかった。
今回の話の主題は、一言に要約するなら、文化遺産の哲学ということにでもなるかもしれない。文化遺産は、有形か無形かを問わず、公共性を考えるための拠り所とも云うべき歴史的なものの現存であり、その意味で公共的なものである以上、私的な所有権を超越している。そして公共性は長期的な持続性を前提するものである以上、歴史の複雑性を考慮しない傾向にある経済的な合理性の思考には馴染み難いとしても、前者を後者に置換することはできないのではないか?というのが半田仙の主張なのだ。
しかし同時に、もっと経済性、合理性に傾いた考え方を採ったとしても、半田仙の主張は説明できるだろう。現今の日本の建築は(公共建築でさえ)三十年程度の寿命と云われるが、古い建築は大切に維持すれば百年以上も生き続けているのだから、費用対効果で考えても、手間隙かけた古風な手法による建築の方が最新鋭の安価な建築よりも望ましいのは明白なのだ。家を買うということに関して云えば、中古マンションを買うことの危険性を誰もが気にせざるを得ないのは建築の寿命の問題があるからなのだが、思うに、西洋の古都にあるような数百年もの昔の古い建築が今なお現役で使用されている状態こそが本来のあり方と云うべきで、三十年後には建て替えなければならないような高層建築をつくる如き愚劣な真似は、犯罪に等しいと認定してゆく必要があるだろう。